社内出世はもう古い、「社会出世」という新しい出世の考え方

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人から認められたい、人に貢献したい、自分の存在価値を感じたい、と思う人間の欲求は、どこにいてもどの時代でも同じです。


しかし、一つの会社でその欲求を叶えようとすると、その会社の価値観・信念体系の縛りの中で動くことになるため、どこか苦しさや歪みが生じてきます。


所属する会社=自分のアイデンティティという意識が薄れつつある今、新しい出世の考え方をインプットしてみませんか。

社内出世して、副社長になって、クビになる

私はこれまで4度ほど転職をした経験があります。
ありがたいことに、転職するたび給与が上がっていきました。
そして4度目に転職した会社では、一般社員から副社長になりました。


なぜ出世したかというと、理由は割とシンプルで、社長の苦手なことが私の得意なことだったからです。


社長は有名な職人だったのですが、いかに良い作品を世に出すか、その一点に集中したい人で、経営には無頓着でした。


私は入社時、総務・庶務・人事となんでもやる事務員でしたが、過去に営業マンをしていたことがあり、予算を管理したり売上を上げたりするのが得意だったため、いつの間にか会社の財務管理まで担うようになっていました。


拍子抜けされるかもしれませんが、出世できた一番の決め手は、私が無欲そうに見えたことだと思います。


社長はワンマンな暴れん坊将軍だったので、自分を脅かす可能性のある人は、大嫌いでした。
私はハイハイ命令を聞きつつ、社長の苦手なことをスイスイこなしていったので、重宝したのでしょう。


ですが、私も副社長になった頃にストレスMAXになっていました。
正直、いつ自分がちゃぶ台をひっくり返すかわからない精神状態でした。


これまで大人しくしていた私でしたが、社長から会社を拡大したいと言われたとき、初めて反対意見を出しました。
そしてかねてより温めていた社員の待遇改善プランも提示しました。


これは、社長にとってすごく嫌なことだと自覚していました。
私の中に、幼稚な反発精神があったのかもしれません。


もう少し策士になってことを進めることもできましたが、この頃の私は「どうにでもなれ」と半ばヤケになっていました。


そしてある日、社長がやりたいと言う仕事にストップをかけ、人材が揃うまで待ってくれと私が言った途端、社長の怒りが爆発し、関係に致命的なヒビが入ります。


そして、私の出世を良く思わない社長の取り巻きたちによる、「半沢直樹」を地でいく罠にかかり、程なくして私は突然クビになりました。

無職になって感じた、会社とは何か、出世とは何か

こうして、長年エネルギーを費やしてきた世界が一瞬で消えました。
まるで夢中になってやっていたゲームの途中で、急にリセットボタンが押されたような気分です。


良くも悪くも、地位に執着していないと地位は奪われるものなのだなと思いました。
執着していなかった分、絶望するまではいきませんでしたが、さすがに虚しくなりました。


無職になって、会社って何だろう、出世って何だろう、ということをぼーっと考える日々を送りました。


もう少し会社の価値観に合わせて行動していたら良かったのかな?
これまで通り、自分を殺して社長の希望を叶えていれば良かったのかな?と自問自答しました。


そんなとき、私がクビになる前に辞めていった元同僚の言葉を思い出しました。
「ここに長くいても、社長への対応スキルが無駄に上がるだけで終わるよ」。


第一線で活躍する職人の方々と仕事できる環境は、確かに魅力的でした。
出会う人は個性的な方が多く、この世にいろんな観点があることを学ばせて頂きました。


ですが、その元同僚が言った通り、学びがピークを越えると、近視眼になります。
そして、いつの間にかその会社でしか通用しない処世術を身につけてしまう可能性があるのです。


私も、ほんのわずかな仕草で社長の機嫌がわかりましたし、常に完璧を求められるので、無意識にやりすぎるくらい仕事でフォローする癖がついていました。


もちろん社長のおかげで、ものごとへの耐性や柔軟性、調整能力、トラブル処理能力は磨かれたことでしょう。


ですが、それも度を超えると汎用性は低くなり、社長仕様にオーダーメイドされたその能力はごく特殊な条件下でしか使えない超能力のようなもので、よそで必要とされる機会はそう多くありません。


会社は、それぞれ価値観や信念体系を持っています。
出世とは、独自の評価ルールが決められている遊び場で、いかにポイントとなる価値を提供し、人の役に立って成り上がるかというゲームのようなものだったなと実感しています。


極端な言い方をすれば、私の場合、社長にとって都合の良いことをしたら出世する、社長にとって都合の悪いことをしたらクビになる、というルールの中で、自分が必死に遊んでいただけのように思えたのです。


そしてそれは決して悪いことではなく、そこで得たものはとてつもなく大きかったですし、同時に限界を味わうこともできました。

「社会出世」という考え方へのシフト

このまま会社で一生を終えることに不安を持つ人や、より人生を面白くしたい人にお伝えしたいのが、「社会出世」という考え方です。


人間であれ、会社であれ、それぞれが固有の条件付けを持って活動しています。
固有の条件付けを持った単一組織では、学びが一定レベルまで到達してしまうと、良い悪いではなく、引き出せる個人の能力もまた限定されてしまう宿命にあります。


そして当たり前ですが、どんなに有名な会社でも、どんなに好調な会社でも、永遠に続く保証などありません。


社内でできるかぎり学びを得て社内でアウトプットし尽くしたら、会社専用のスキルを磨くのはほどほどにし、社会に向けて個人としてアウトプットしてみることが、サバイバルスキルとしても有効ではないかと思います。


私の実体験に話を戻しますが、無職になってしばらくして、野菜の新ブランドを立ち上げようとしている埼玉のとある農家さんと出会いました。


以前、ブランド立ち上げの仕事をしていたことがあるので、ボランティアで進んでお手伝いすることになりました。


また、特殊農法に関する資料や講演のテキスト制作も依頼され、ライターとしても活動することになりました。ありがちですが、報酬は野菜でした(無職の私には嬉しかったです)。


さらに農家さんとつながりを持った流れで、ライターとして自給率を上げるプロジェクトに関わったのですが、そこでの仕事は、本当に意味のある仕事をさせてもらっているなという実感がありました。


会社にいた頃は、(あまり実感できないけれど)私も社長を通して一応社会貢献していることになるのだろうなと思っていました。


ですが、会社の看板がないところで自分の能力を細分化し使ってみるという体験は、私個人として、会社のその先にあった「社会」というものに、生々しく触れている感覚があったのです。
個人として社会に出る際、自分の能力を客観視することは大事なことでした。


私が割と早めにお金に変えられたものは、ブランドの資料作成や取材といったライティングに関するお仕事でした。


ブランドのプロデュース業については、しばらく無償で提供し、逆に経験値を積ませて頂く必要があると判断していました。


農業分野については知識も浅く、プロデュースについては自分もまだまだ未熟である中、プロジェクトとして利益が出ないうちに見返りを要求してしまうと、仕事が継続できなくなってしまうからです。


自分の技術が今すぐ換金できるレベルかを見極めるのも、重要なポイントになると思います。

何度も人生をアップデートしていける面白い時代

自分という素材を色々なコミュニティにぶつけてみてはじめて、自分の形、すなわち特徴を知ることができます。
一つのコミュニティにぶつけて続けて自分のアウトプットを限定する必要はありません。


そもそも、社内出世という概念自体が、高度成長期に培われた特殊な時代の特殊な価値観にすぎません。
リスクをとり、自分軸で生きることのできる人にとって、今の時代は生きやすいと言えるでしょう。


一方で、他人軸で生きる人にとっては辛い時代になります。
自己肯定感の低さ、未来への不安、嫉妬心は、一つのコミュニティへの固執を生みます。


自分に価値がないと思い込み、能力開発を怠ると、そのしがみついていたコミュニティからすら、いずれ戦力外通告されるようになってしまうでしょう。
オリジナリティのない誰でもできる仕事は、もう人がやる必要がなくなるのですから。


もし私が以前いた会社を円満に退社していれば、野菜プロジェクトとどこかで繋がることができたかもしれません。


もしくは会社ルールにはまりすぎず、社内出世しながら個人として社会に出ていくとことができていたなら、それはそれで面白かっただろうなと思います。
当時の私にそんな視点はなかったので、色々経験したからこそ言えることですが。


今は、生まれ変わらずとも「この自分」のまま、さまざまな場所にあるさまざまなコミュニティで能力を開花させ、何度も人生をアップデートしていける時代になっていると感じています。
自分が何の仕事をしているのか、一言で言えない生き方も、面白いのではないでしょうか。


佐久間 雪
早稲田大学総合人文学科を卒業後、さまざまな仕事を経験したのち、フリーのライターとして活動中。

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