私は、稲盛和夫の『生き方』で『モテ方』を学んだ。

苦節25年、モテ期がきた

苦節25年、ついに私にもモテ期がきました。
顔立ち、特技など、特に秀でているものがない私にです。


「人生にモテ期は3回くる」という不確かで、根拠のない都市伝説を鼻で笑い飛ばしてきた私ですが、気が付けば過去を思い返し、指を折り曲げていました。


モテ期が来たと感じたのは、初めて女性側からのアプローチを受けたときです。


「好きって言ったらどうしますか」こんなセリフ、今どきの恋愛ドラマでは死語ですよね。
そんな言葉を私に投げかけるのです。


そういったことが、このごろ、度々あるんです。


1回だけでなく、2回3回と続けば、「これはモテ期が来た」とはしゃぎたくもなります。

モテるためにした「あれやこれや」

男性なら、「モテたい」と息を吐くように口にしてきたはずです。


私も、もちろんその一人でした。


女性の心理を知るために、どこの馬の骨が執筆したかも分からない恋愛メディアのほとんどに目を通し、ファッション雑誌も片っ端から読み漁りました。


ファッション雑誌を参考にするのですが、自分の独特のファッション感性が勝ってしまうことが多く、友人から引かれるということも度々ありました。


「モデルの全てをマネるのが嫌だ」という謎めいたプライドも邪魔でしょうがなかったです。


人並の恋愛はしてきたという自負はあります。
しかし、モテるという境地には辿り着けずにいた学生時代でした。

即効性の高いものほど効力を失うのは早い

ファッションやヘアスタイルというのは、外見に変化を与えるため、モテの即効性が高いです。
しかし、マイナスに振れるリスクも同時に伴います。


仮に、ファッションスタイルの変化がプラスにはたらいたとしても、「モテモテの俺」につながる分厚い壁を打ち壊すことはできません。そんなちっぽけな武器一つでは、到底ムリです。


さらに言うと、振り回し続けた武器は刃こぼれしますので、効力も薄くなります。


「即効性の高いものほど、効力を失うのは早い」というのはこのことです。
当時、非モテだった私は、これに気付けませんでした。


「モテモテの俺」と「非モテの自分」との間にある分厚い壁を打ち壊すには、コツコツとした、長期的な戦略が必要なのです。

稲盛和夫の『生き方』で『モテ方』を学ぶ

稲盛和夫さんの著書『生き方』をご存知でない人もいるでしょう。


言うまでもありませんが、稲森さんは京セラの創業者であり、日本を代表する超大物実業家です。


『生き方』は稲盛さんが著した本の中でも、恐らく、あたま1つ2つ抜けるほどの人気著書であり、今でも各書店のおひざ元にドンっと鎮座しています。


私の書庫にも3年ほど前からあるのですが、つい最近この『生き方』を手に取り、久しぶりに熟読しました。


読書中、著書のとある文節を読んだ時、アッと驚き、マンガようにパタンっと本を一度閉じ、目を見開きました。


なんと、私にモテ期を呼び寄せた方法。
つまり、「モテ期が来た理由」がそこに記してあったのです。


その文節によると、私にきたモテ期は、来るべくして来ていたのです。

稲盛和夫が経営方針の根幹においたもの

『生き方』によると、当時、京セラを立ち上げた稲盛さんは経営の初心者。
何をすべきなのか分からず、手探り状態だったそうです。


ところが、その当時「とある経営方針」を根幹に据えたことで、数々の荒波を超え、大企業へと変貌していったのだと著書で語っています。


稲盛さんが今も大事にしている経営方針とは、どのようなものだと思いますか。
本から引用してみましょう。

当時、私は経営の素人で、その知識も経験もないため〜(中略)困り果てた私は、とにかく人間として正しいことを正しいままに貫いていこうと決めました。

そして、こう続きます。

「私の成功に理由をつけるのであれば、たったそれだけのことなのかもしれません。」

と。


私はこの文を目にしたとき、これは、これこそが、モテ期を呼ぶこむための考えなんだと気付いたのです。

損な役回りをして魂と男のレベルを上げる 

「なんだそれは」「意味が分からない」そんな心無い声が聞こえてくるようです。


「人として正しくあること」がどうモテ期へとつながってくるのか、私の実体験からくる根拠をご覧いただければ、必ず理解していただけるはずです。


まず、私は大学時代タッチラグビーという部活の部長でした。


部活の練習や合宿を仕切きる中で、人の粗というか、おぞましいところをたくさん見てきました。


例えば、合宿中、お酒の勢いに任せてセクハラを繰り返す後輩、手癖の悪い先輩OBなどなど、いっそのこと自分も、、、なんて思った時もありました。


しかし、私は部長を受け継いだとき、心に決めたことがあったのです。


それは「部員には一切手を出さないこと」です。


これが結果的に「人として正しくあること」につながるのですが、当時の私はそんなことを知る由もありません。
パーリーピーポーを横目に、私は自分と後輩を、ただただ律し続けたのでした。


ですが、悲しいことに当時は全くモテません。
損な役回りをしただけじゃないか、そんな淡い後悔だけを残して私は大学を卒業します。


すると、どうでしょう。卒業して約3年が経った今になり、女性からアプローチを受けるようになるのです。


(ここからがキモ部分になります。)


私は、アプローチを受けた女性の一人から、こんなことを言われました。
「四太郎さん(私)、大学時代すごく良い人だったって友達から聞きましたよ」


私が大学時代に正しくあり続けた結果、これと似たようなことを複数人から言われたのです。


4年間、損な役回りをし続け、良い人であろうと努力し続けたことが、今の人格を形成し、過去の自分の後押しと共に、とうとう「モテモテの俺」と「非モテの俺」との間にある壁を打ちこわしたのです。

モテることで気分が充足する

モテるとは、やはり素晴らしいことでした。


例えば、仕事です。


モテることで承認欲求が満たされ、仕事がスラスラと進むようになります。


承認欲求を満たすために仕事を頑張るのは疲れますよね。
しかし、モテるというのは女性から一方的に愛を与えられるということ。
つまり、水槽に水を入れるようにして、欲求が満たされるのです。


お腹が空いている時より、満たされるとき。
睡眠が不足しているときより、睡眠をたっぷりと得られているときの方が、仕事を頑張れますよね。そういう感じです。


仕事が上手くいくことで気分が充足するのではなく、先に気分を充足させることで仕事が上手くいくのです。

孔子曰く

ところで、論語にもこんな一文があります。


「己の欲せざるところ人に施すことなかれ 」


もはや説明の必要はないかと思いますが、これは「自分のされて嫌だと思うことは、人にやってはいけないよ」というものです。


保育園の先生が、雑巾のごとく使い回しするセリフですが、稲盛さんの「人として正しくある」に通じるものがあります。


私たちが子どもの頃より耳にし続けた「嘘をついてはいけない」「友達には優しくしましょう」というのは、豊かな人生を歩むうえで、絶対的に欠かせないものであると思うのです。

全ての事象につながるものである

私は、大学時代「人として正しく」を貫いたことで、めでたくモテ期を迎えました。
またそれに伴い仕事も上手くいき、「人生って楽しいな」なんて思い始めています。


道端で拾ったサイフを交番に届ける人は、サイフを落としても戻ってくる。


トイレ掃除をすれば幸運が訪れる。


偶然の産物と思われがちなそれらの事象は、全て「人として正しくあること」が引きこんだ必然なのかもしれません。

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著者:山田大地@四太郎
田舎者ですが、元気です。翻弄されっぱなしの東京をいつか見返してやろうと頑張っています。たまに踊っています。盆踊りです。

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