半年間だけ本気で英語を勉強したら人生が180度変わり、今、アルゼンチンで暮らしている

僕は大学3年生まで、いわゆるダメな人間だった。
しかし、友人の何気ない一言で英語勉強を開始すると、生き方や人生が大きく変わり始める。


半年で僕はTOEICハイスコアを達成した。
その後も、外国人と交際したり、外資系ホテルへ内定を決めたりし、今はアルゼンチンに住んでいる。


全ては英語学習から始まった。
半年で人生と生き方が変わった僕の経験と2つの学びについてお伝えしよう。

堕落した大学生の人生を変える友人の一言

高校卒業後、上京した僕に待ち受けていたのは、夢も輝きもない学園ライフだった。
周りが授業やサークル、アルバイト、遊びに没頭する中、僕の生活にあったのは学校とアルバイトだけ。


ろくにつるむ友人もおらず、次第に授業に顔を出すのも少なくなった。
当時の救いと言えば、深夜に一人で酒を飲みながら聴く芸人のラジオ。


そんな堕落した大学生に人生の転機が訪れる。
3年生になると、初めてとも言える友人ができ、彼とは頻繁に家で酒を飲むようになった。


「おっくん、就活やばくね。勉強もサークルも力入れてねえから、強みないじゃん」
いつものように酒を飲んでいる時、友人が言った。
彼は面倒見のいい典型的な兄貴肌だ。


否定しようがないから、僕はいつものように静かに笑って同意した。
その姿を見て、彼は続けてこう言った。


「危機感持たないとやばいよ。やることないなら英語やれよ。うん、英語だ」


お金や友達はなくとも、時間は持て余していた僕は、彼の助言に頷いた。
友人は本気だぞと念を押し、夏休みに1か月海外を旅することも決めたのである。
彼は英語を話せないから、僕は必死に英語を勉強する必要があった。


こうして僕の人生は、彼のこの一言で少しずつ、そして大きく変わることになるのである。

努力だけである程度上のレベルまで到達できる

何事もまずは現状把握が大切。
まずはTOEIC公式問題集を本番形式で解いてみることに。


高校時代は割と英語ができた方で、センター試験も8割は取れていたから、正直自信はあった。
上手くいけば720点はいくかなと思っていたが、現実はたったの400点台。
険しく困難な道が広がっていた。


目標は話せる英語を身に着けること、そして半年後のTOEICで800点取ることだ。
目標を立てたら、あとは逆算して行動するのみ。


まずは1週間ほどかけて英語の発音を学び、英語学習の軸となるシャドーイングを開始。
シャドーイングをしつつ、1か月かけて高校3年間の文法を総復習。
この時点でもう6月に突入していた。


夏休み、つまり外国の旅が間近に迫っていた。
焦った僕は、通学中は英語のポッドキャストを聞き、洋書や英語記事で単語のインプット、そして暇さえあればシャドーイングと瞬間英作文トレーニングを行った。


僕は文字通り英語漬けの日々を送っていた。
朝の6時に起床してから寝るまで、家の中にいる時は英語しか口にも耳にもしていない。
唯一日本語と触れ合う時と言えば、学校とアルバイト、そして友人が来た時だけ。


肝心の旅先は、友人の提案で成田国際空港にいる外国人に行き先を尋ね、回答された国へ向かうことにした。
希望はアメリカ合衆国かカナダ。
最悪、英語圏の国ならどこでもよかった。


「ウェア・アー・ユー・ゴーイング?(どこに行くんですか)」、ベンチに座っている白人のおばあちゃんに話しかけた。
頭の中でドラムロールがなる。


「ルッシァ」


彼女は優しく微笑んで答えてくれた。
愕然としたが、しょうがない。
僕達は英語がほとんど通じないロシアを1か月半旅した。


帰国してからも、シャドーイングと瞬間英作文を中心に学習を続けた。
TOEIC本番1か月前からは、ひたすら公式問題集だけ解き続ける日々。


大学3年生にして、初めて図書館で勉強した。
TOEIC当日は、緊張こそしなかったものの、特別良い手ごたえはなかった。


結果が届いたのは約一か月後。あれだけ頑張ったのだから、800点は超えていて欲しかった。
封筒を開け、成績表を見てみる。


935点。


予想を大幅に上回る結果に、僕は喜びを隠せず、柄にもなく友人に連絡した。
人生で初めて自分から人に連絡した瞬間だ。


半年でTOEIC900点達成すると、語学の才能があるなど言われるが、それは違う。
TOEICも400点台だったし、今思えば大学1年の英語クラスは一番下だった。
僕には語学の才能なんてない。やっぱり努力のおかげだ。


4月から11月までの間、僕は一日たりとも英語学習を休まなかった。
iPhoneに入れていたシャドーイングCDの再生回数は、合計で2万回以上に達していた。
4分のシャドーイングを2万回、単純計算で約55日間シャドーイングにだけ費やすという、クレイジーさを発揮していた。


これだけ努力できた理由は、短期間を全速力で駆け抜けたからだと思う。
新たな挑戦をする時、一番難しいのは始めること、次に難しいのは継続することだ。


長距離マラソンのように、数年単位で目標を設定すると、途中でバテ尽きる可能性がある。
でも、50mや100mの短距離走なら、誰でも全速力で駆け抜けられる。
人生100年時代、半年なんてあっという間だ。


努力は登山に似ている。
歩けば上に行けるが、標高が高くなるほど進むのが難しくなる。


途中で限界を迎えることも十分あるだろう。
綺麗ごと抜きで言えば、頂上付近まで行くには才能も必要だから。
でも、努力だけである程度高い地点までは行ける。


TOEICを終えた僕は、6合目くらいの高さにいた。
そこから見える景色は、以前とは全く違う。
多くの可能性が広がっていた。
中でも、僕が見ていたのは外国だった。

1つの成功体験が新たなチャレンジャーを生み出す

TOEICをきっかけに、いつか海外で働きたいという願望が出た僕は、就活を外資系企業、特に天職とも思えたホテル業界に定めることにした。


その頃、ポーランド人の彼女ができ、スピーキングもメキメキと上達。
無事に英語面接を乗り越え、いくつかの外資系ホテルの内定ゲット。


4年生の夏、アルゼンチン人と交際を開始して、卒業後にアルゼンチンへ移住した。
現地で2年間ほど働いた後、2017年からフリーライターとして活動している。


自分でも何が起きているのか分からないほど、怒涛の展開の連続で、文字通り人生がひっくり返ったかのように変わった。


昔から僕は根拠のない自信がある。
どんな時も、心のどこかで何とかなるだろうと楽観視している。
日本の裏側アルゼンチンに移住する時も、スペイン語が話せないのに現地で職探しする時も、そして英語勉強した時もだ。


この溢れる根拠ない自信のおかげで、僕は一切迷うことなく英語学習に取りかかれた。
「できるかな?」と悩むことさえなかった。
それゆえに友人は、ストレートに僕のことを「馬鹿な自信家」と呼んだ。


でも、根拠ない自信だけの僕は薄っぺらだった。
だって、それは張りぼてであり、中身は空っぽだから。


誰もTOEIC800点超えられるなんて信じていなかったけど、努力のおかげで目標達成。
つぎはぎだらけの根拠なき自信が、ピカピカの本物の自信に変わった。


本当の自信を手に入れた僕は、様々なことに挑戦するようになった。
大小にかかわらず、1つの成功体験が大きな自信へとつながり、僕達を新たなチャレンジャーにしてくれる。


行動なきところに成功はない。
チャレンジすることで、小さな変化が起き、少しずつ生き方や人生が変わる。


人生や生き方を変えたいなら、自信をつけるのが手っ取り早い。
ほら、「自信のある人間はモテる」と言うではないか。


自信をつけるためには、成功体験を作るのが一番。
小さな成功でも、十分に生き方や人生を変える原動力になる。

前にさえ進めば、生き方や人生はいつか変わる

いつからなのかは分からないが、自分の人生なのに、自分が主人公ではない時期があった。
でも死に物狂いで英語勉強を開始してから、僕が主人公になれた。
21年目にして、ようやく人生が始まったのだ。


人生や生き方は、すぐには変わらない。
でもきつくて苦しいが、毎日努力を続ければ、ほんの少しずつ僕達は変われる。


現状に満足していないなら、とりあえず何か1つのことに思い切りぶつかってみるといいかもしれない。


思ったような結果が出なくとも、行動することに意味がある。
行動さえすれば、とりあえず前には進めるのだから。

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奥川駿平
アルゼンチン在住のフリーライター。アルゼンチン人と結婚するため、大学卒業後の2015年アルゼンチンへ移住。2017年よりフリーライターとして活動。マテ茶と伝統炭火焼肉アサードをこよなく愛する。

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