その日は何故かオフィス内の全員が終業後の私の予定を知っていた。
「Hey、ゆき!今夜は小夜子と男性ストリップショーを見に行くんだって?」
「そうよ。深夜にナイトクラブのイベントがあって、小夜子さんに連れて行ってもらう約束なの」
「楽しんでおいで」
「ええ、そうするわ」
普段私には声をかけないマネージャーや、部署の違うイギリス人の同僚、日本人スタッフのお姉様方全員がじろじろと私を見ていた。目は口ほどに物を言う。
「ふぅ〜ん…」
「よくそんなところ行くね」
「やらし〜」
「好き者だねぇ」
「小夜子についていって大丈夫?」
皆の目から色んな声が聞こえてきたが、私はいかにも無邪気そうな笑顔で、順番に声をかけてくる同僚たちに何を聞かれても「今夜が楽しみ」と答えて回った。
本心だったし、何故そんなにも彼らが興味津々なのか分からなかった。
根掘り葉掘り尋ねるほど気になるなら一緒に来ればいいのだ。
喫煙室でお喋りな同僚の誰かに
「今夜はゆきを夫の仕事場に連れて行くのよ」
と話したに違いないパートタイマーの小夜子さんは、むせるほどに匂う色気と美貌が近寄りがたいために普段から孤立ぎみなのだが、私が皆にいじられていても我関せずという様子だった。
ストリップショーに私を誘ってくれていた小夜子さんの夫はストリッパーたちのマネージャーであり、セクシーショーの興行を手掛けていた。
MCとして自身もショーのステージに立っている。
当時の私は世の中にそんな職業が存在すると知らなかったので、社会って奥が深いなと感心していた。
小夜子さんに男性ストリップショーに連れて行ってもらうのは、実は二度目だった。
以前彼女の自宅に夕刻までお邪魔していた時に、彼女の夫リチャードから
「今日はこれから仕事なんだ。良かったら来るかい?小夜子と二人で客席に座って見ているといいよ」
と誘ってもらったのだ。
「楽しんでもらえるといいのだけど、今日のショーは開演時間も早いし、田舎町の公民館でやるからステージも客層もあまり良くないかもしれないな…。」
としきりに心配していたリチャードの予想は当たり、その日の公演は散々だった。
とはいえ、男性ストリップを初めて見る私にとっては十分刺激的だったし楽しかった。
だいたい、日本で言うところの県民文化会館的な牧歌的ホールでセクシーショーが行われること自体が日本人の私には衝撃であり、男性のヌードを目当てに会場に詰めかけているお客さん達が
「商店街組合の婦人部かな?これからバザーでもするの?」
と思うような中高年のおばちゃんとおばあちゃんたちだったことにも驚かされた。
おばちゃんたちはショーの開始までは大人しく席についていたが、音楽が鳴り始めるや否やかぶりつきに押し寄せて拳を振り上げ、
「OFF! OFF! OFF! OFF! (脱げ!脱げ!脱げ!脱げ!)」
と大合唱を始めたのだから仰天だ。
まるでおっさんではないか。
ストリッパーには白人と黒人も居たが、全員が同じような身長と筋骨隆々の体型でも、滑らかな肌と体つきが最もセクシーで美しく見えたのはヒスパニック系の兄弟だ。
浅黒い肌は筋肉の陰影が美しく体が引き締まって見える。
それにしても、世の中には兄弟でセクシーダンサーをしているファミリーがあるのかと思うと、社会の奥深さにまたしても感心させられた。
それよりも以前にロンドン繁華街にあるランジェリーショップで可愛い下着を物色していた時、ゾウさんとキリンさんのパンツを見つけて「なんだこりゃ」と友人たちと大笑いしたのだったが、ボンテージファッションのダンサーたちが服を脱ぎ捨て、硬く屹立した陰茎をゾウの鼻とキリンの首に見立てたパンツ一枚の姿になった時、「あ、なるほど。あのパンツってこうなるんだ」とやはり感心させられ笑ってしまった。
あれらは相当な大きさでないと全く様にならないので、身に付ける人のサイズと見る者のユーモアのセンスを選ぶパンツであった。
ゾウさんとキリンさんも遂にはぎ取られようかという頃には、ステージにかぶりついているおばちゃんとおばあちゃんたちのテンションもマックスで、口々に下品な歓声を上げ卑猥な言葉をダンサーに投げかけていたが、あろうことか興奮したおばちゃんの一人がステージに這い上がりダンサーの性器に掴みかかったのには度肝を抜かれた。
セックスワーカーに対する礼儀知らずで暴力的な振る舞いにも驚いたのだが、女性がここまでおっさん化する姿を目の当たりにしたのが初めてだったのだ。
襲われたダンサーは抵抗し、MCのリチャードが止めに入って女性はステージから下ろされた。
ショーは続行したが、ダンサーたちの機嫌はすっかり損なわれたようだった。
それでも最後まで萎えることなく勤め上げるのがその道で飯を食っているプロの根性なのだろう。
ショーの幕が降りた後、おばさん達とは離れた席に座っていた私たちをリチャードとダンサー達が迎えに来て、
「あぁ、ゆき。本当にごめん。折角来てくれたんだから楽しんでもらいたかったのだけど、今夜のショーは最低だ。良かったらもう一度見に来てよ。僕らのショーはこんなんじゃないからさ。
次はロンドンのクラブで若い子たちのパーティに呼ばれてるんだ。そっちは絶対に楽しいはずだから、是非おいでよ。ね?」
と、口々に謝り次のショーにも誘ってくれた。
私は色んな意味で十分すごいものを見せてもらったと感じていたので謝ってもらわなくても構わなかったのだが、リチャードがいかにも残念そうにしていたし、ダンサーの皆も優しくいい人たちだったのでもう一度誘いに乗ることにしたのだ。
果たして二度目のショーは最高にクールだった。
どんなに興奮していても若さは慎みと恥じらいを忘れないので全体にマナーが良く、お客さんの8割近くが若くて可愛い盛りの女の子とあってはダンサーたちもノリに乗って楽しそう。
好みの女の子をステージに引っ張り上げては即興で絡むのだが、抱き寄せられた女の子たちは頭の芯から体の奥まで高揚と恥じらいがないまぜになりスパークしているのが分かった。
興奮のるつぼと化したステージが終わると、理性など吹き飛んでいる女の子たちが大挙してダンサーに群がり、自分の連絡先を書いたメモを競って渡していた。
先日の公民館では電話番号を手に入れようと待ち構えていたおばさん客に
「カンチガイしてんじゃねぇよ!」
と一喝をくれていたダンサーたちも、ここでは女の子たちの胸元にマジックで自分の電話番号を書いていく。
「ゆき、今日のショーは楽しかったろ?小夜子に送ってもらって先に帰っているといいよ。僕たちは残るから」
喧騒の中でリチャードに促され、私はとても楽しかったとお礼を述べて、熱狂のパーティ会場を後にした。
恐らくクラブでのパーティが跳ねた後、火のついた彼らは女の子たちと急遽もう一つのパーティへと雪崩れ込むに違いない。
そこで誰が誰だか分からなくなりながら朝を迎えるのだろう。
「リチャードもそのなかに混ざるのだろうか?小夜子さんは嫌じゃないのかしら?」
そんなことを考えずにはいられなかったが、余計なことは口にできなかったし、ご好意で楽しませてもらったのに水を差すような振る舞いをするわけにもいかなかった。
ちょうどその頃、「フル・モンティ」というイギリスの映画が世界中でヒットしていた。
失業中の中年男たちが生活のためストリップに挑戦するという、物哀しくも面白おかしいハートウォーミングコメディだ。
セントラルロンドンの繁栄から取り残され、下層に生きる人々の生活には悲しみと諦めとそこはかとない怒りが常に漂ってはいたが、イギリスらしいシニカルなユーモアが忘れられることはなく、彼らなりの愛があり、仲間がいて、「こんな風でも生きていける」という楽観的な希望があった。
労働党政権時代には生活保護や失業保険が簡単に給付され、その他の各種福祉制度も充実しており内容も手厚かったので、どんな人でも飢えることはあり得なかったからである。
小夜子さんの夫はストリップの興行が定職というわけではなかった。
リチャードには持病があり、体調が安定しないために働くことがそもそも難しかったのだ。
体調が良い時(悪い時の方が多かった)に限り仲間を集ってストリップショーを企画したり、エキストラ俳優として日銭を稼いでいたのだが、家計は小夜子さんのパート代を頼りにしていた。
当時のイギリスは社会の底辺層から世界的ミュージシャンやサッカー選手、映画監督などのスターを絶えず排出していたし、ハリー・ポッターシリーズを書いたJ・K・ローリングという文豪をも生んだというのに、生活保護受給者に対する反感とバッシングは高まり続け、2010年に保守党政権に代わるやいなや生活保護の打ち切りや大幅減額が始まった。
あの夜最高にクールなステージで私を楽しませてくれた彼らは、今ではもう50代になっているだろう。
最早裸で稼げる年齢ではないはずだが、無職者や低所得者への支援が削減され餓死者が出るようになった今のイギリスで、まともな勤労の習慣を持たずに暮らしていた彼らは果たして無事に生き延びているだろうか。
イギリスが遂にEUを離脱した信じられないニュースを見ながら、あの楽しかった夜と優しい人たちを思い出して切なくなる。
失われた日々を懐かしんでも仕方がないと分かっている。世界は変わってしまったし、これからも変わり続けていくのだ。
マダムユキ
ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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