僕はモテすぎて本当に辛い 誰か僕の切実なる悩みを聞いて頂けないだろうか

モテる定義は人によって違うが、年に2人程に告白されることを言うのなら、物心ついた時から僕はモテる人生を送ってきた。

 

僕は決して目立つタイプではない。

そんな僕が女性にモテた理由は、彼女らの言葉を借りれば、

 

「ミステリアスで優しい」から。

 

だが、モテることで様々な悩みを抱え続けてきた。

 

非モテの人には決して理解できないと思うが、僕が抱えてきたモテる男の人生の悩みと懺悔を聞いていただきたい。

 

ボクは小学校の頃からモテモテだった

 

初めて自分がモテると実感したのは小学校一年生の時。

いわゆる初めてのモテ期が訪れた。

毎日、僕の周りには同級生の女の子がいて、バレンタインには40個ほどのチョコレートを貰った。

 

ランドセルに入りきらない様子を見た担任が大きな紙袋を2つくれたが、重さに耐え切れず紙袋は破れた。

僕は大量のチョコレートを抱え、半べそになりながら帰宅した。

この日から数年間、バレンタインとチョコレートが嫌いになった。

 

ある日の下校時、女の子達は大喧嘩をした。

原因は、誰が僕と一緒に下校するのかというもの。

ボクは昔から、争いごとに巻き込まれるのがたまらなく苦手だ。

怒り、泣きわめく女の子達に囲まれた僕は、なんとか穏便に済ませる方法を思いついた。

一緒に下校する人を日替わりにするというものである。

月曜日はゆのちゃん、火曜日はしおりちゃん、水曜日はみさとちゃんと言った具合に。

 

こうしてほぼ毎日、僕は女の子と2人きりで帰るようになった。

帰り道が正反対の子も律儀に自宅まで送った。

まだ7歳と言えど、女はませている。

「一緒に帰れて嬉しい」

など2人きりの時に言われると、本心ではちっとも嬉しくないのに、

「僕もだよ」

など言ったものである。

 

手を握られても、振り払うことはできなかった。

 

生来、空気を読むのに長けているのだと思う。

幼い頃から、意識せずに女性が求めていることを察知して、恥ずかしげもなく言葉や行動で示すことができた。

何より、僕は女性に優しかった。

彼女らの言ったことを否定せず、受け止めて共感する。

これができるゆえに、僕は優しいと言われたのだと思う。

 

誰に対しても曖昧な態度をとるから、僕は誰かが手をつないだことなどを話すのを恐れていた。

もし他の子にばれでもしたら、大変なことになる。

 

「他の子が怒っちゃうから、手をつないだのは僕達だけの秘密だよ」

なんて言いながら、内心びくびくして過ごしていた。

幸いにも、秘密を破る女の子はいなかった。

 

転機は突然訪れた。

父親の転勤が決まった。

転勤先は県内だから、僕は転校したいかどうか尋ねられたのである。

すぐに首を縦に振り、縛られた生活におさばらを告げた。

 

モテるとは喜びではなく憂鬱な時間である

 

転校先の小学校では、しばらく普通の日々を送っていたが、高学年になると暗雲が漂ってきた。

下校中、中学の女生徒に

「可愛いね。今、何年生?」

と聞かれることが多くなった。

 

時には、髪の毛を茶色に染めた不良らしき女子中学生に、一緒に帰ろうと言われることさえあった。

極めつけは、同級生の

「中学で絶対にモテるよ」

という言葉である。

 

予言が的中するかのように、中学入学年度は大いにちやほやされた。

ある女の先生がクラスみんなの前で

「奥川君みたいな優しい人と付き合うのよ」

とさえ言ったことがある。

学年が上がるにつれて、僕のモテも落ち着いてきたが、それでも毎年2人程に告白された。

 

高校では同じ学校の女子の他、電車や塾で顔を合わせる女の子にも声をかけられるようになった。

僕が3年間過ごした進学クラスは、女子33名に対し男子は7名のみ。

普段は大人しいながらも、時折わざとお茶目な一面を見せて、僕は女の子達の評判を得た。

 

女の子の中には、陰で僕を王子と呼ぶ人々がいた。

同学年の男子の中には、陰で僕を陰キャと呼ぶ人々がいた。

初めは酷いあだ名に傷ついたものの、よくよく考えてみると僕の性格を見事に表現していると感心さえした。

 

場の空気を読み無理に明るく振舞っていたが、僕は暗い人間である。

いつも男は僕の本性を見抜いていた。

れゆえに、男と過ごすのは今でも苦手だ。

 

僕の人生の大きな悩みは告白だった。

好きではない子と、毎日のようにメールで何時間も話すのは大変だったが、話すのを拒否することもできない。

自分から相手に話しかけないものの、面と向かって話しかけられたら優しく接してしまう。

 

相手に期待させないよう、冷たい態度をとっても、

「奥川君はクール/ミステリアスだね」

と解釈されるだけ。

なすすべなし。

そして、最終的には告白されてしまうのだ。

この恐怖がわかるだろうか。

 

告白、それは当事者以外の人間にとっては、退屈な日々に刺激を与える大イベントだ。

そして、大多数の人は新たなカップルの誕生を願っている。

 

皆の期待を裏切ることほど、恐ろしいことはあるだろうか。

だが好きでもない人と付き合うほど、お人好しではないし、カップルになることで周りの見世物になるなんてまっぴらごめんだ。

 

僕はいずれ訪れる告白に怯えていた。

その時が来ると、心臓を掴まれたかのようにキュッと縮みあがりながらも、これまでに見せた優しさをひっくり返した。

そのたびに、一部の人々にナイフのように鋭くて冷たい視線と言葉を投げられたのは言うまでもない。

 

流されるがままに付き合い、孤独感のみ増す日々

 

僕は東京の有名私立大学進学を決めた。

知り合いが誰もいない土地で、新たな生活を送りたかったのだ。

 

友人はろくにできず、ほぼ毎日一人で講義を受ける日々。

しかしボッチであることを悩む人がいるなど、ボクには信じられない。

余計な人間関係もなく、一人が好きな僕は、リラックスした日々を過ごせていた。

 

それでも、次第に女性達に声をかけられるようになる。またか・・・。

いつもながら愛想よく対応して、連絡先の交換を断ることはできない。

自己弁護するつもりはないが、断れる人はいるだろうか。

女の子が勇気をふり絞って、見知らぬ男に話しかけたり、連絡先を尋ねたりしているのだ。

僕はできなかった。

 

何度かメッセージのやり取りをした後、デートを重ねて、告白されるの繰り返し。

高校までとは異なり、付き合うことで違った景色が見えると考えた僕は、とりあえず交際してみることにした。

必ずしも、恋愛は両想いから始まる必要はないと思う。

実際に付き合ってみることで、僕は彼女らに好意を抱き始めた。

 

同時に彼女らと過ごしている時、僕はある種の孤独を感じていた。

というのも、自分らしくいられなかったからだ。

 

彼女らの期待を裏切らまいと、僕は偽りの自分を演じてきた。

いや、彼女達の前だけではない。

僕は他人の前ではいつも自分を偽ってきた。

関わってきた女性達を喜ばせるため、本当の自分を押し殺してきたのだ。

 

大学3年生の時、よく一緒にお酒を飲む友人ができた。

彼は一方的に喋るから、僕は煙草を吸いながら耳を傾けるだけでよかった。

 

ある日、彼は「お前はイエスマンだな」と言った。

僕が誘いを絶対に断らないからだそうだ。彼の言う通りだった。

 

相手の提案を断らないイエスマンは、見方を変えれば、自分から誘わない受け身の人間である。

それまでの人生、相手からアプローチされることは多々あっても、自らアプローチしたことはなかった。

自らデートに誘ったことも、もっと言えばメッセージさえ送ったこともない。

 

一番の問題は、愛の言葉が出なかったことだ。

当時付き合っていた彼女達もそのことに気づき、

「私のこと好きじゃないでしょ」

と言って、別れを告げられたことは何度もある。

彼女達のことは好きだったが、僕は引き止めることもなく、素直に破局を受け入れた。

 

多くの人に愛されても、自分をさらけ出せない僕は、孤独で空虚な人間だった。

 

愛されるだけではダメだ、愛せる人間にならなければ

 

大学を卒業してからも、見知らぬ女性に逆ナンパされ、連絡先を聞かれることは何度かあった。

だが僕は、大学4年生の時に、心から愛せる人と出会えた。

 

それから僕はイエスマンを卒業した。

 

今の妻と出会って、僕は人を愛する喜びを知れた。

 

多くの愛を受け取るだけの人間よりも、人を愛せる人間の方がずっと格好いい。

一番幸福なのは、愛し愛される人間だ。

 

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奥川駿平
アルゼンチン在住のフリーライター。

アルゼンチン人と結婚するため、大学卒業後の2015年アルゼンチンへ移住。

2017年よりフリーライターとして活動。

マテ茶と伝統炭火焼肉アサードをこよなく愛する。