
出典:経済産業省中国経済産業局「実践! 消費者トラブル解決法」
私はあるSNSグループを通じて知り合った知人の紹介で、増田と知り合った。
「僕の仲間が開発したメソッドのセミナーが、ゆきさんの役に立つかもしれない。今はまだリリース前なので15万円というモニター価格で受講できるけれど、リリースされれば50万円になる予定なんだ」
法外に高額な商材を「今ならお得」だと勧めてくるのは、マルチを疑うアウトな匂いしかしない。
しかし当時の私はまだ疑うことを知らず、知人もそれを純粋な好意から勧めてくれていた。
彼も私と同じで、高額セミナーや情報商材に大金を吸い取られるカモ側の人間だったのだ。
こうして、私は情弱ビジネスというゲームに招かれた。
増田が主催と講師を務めるセミナーに違和感を覚えたのは、初日に会場入りした直後からだった。
参加者が少なすぎたのだ。
事前に受け取った文書では、セミナーの最低開催人数は5名とされていた。
そして申し込みがその数字を下回ればキャンセルされ、振り込んだ料金は返金されるという条項が確かにあったはずだ。
しかしその場には、私を含めて4人の参加者しかいなかった。
セミナー参加者の顔ぶれについては、これまでの記事に書いた通りだ。
「企業研修のカリスマ講師が魔法のようなオリジナルメソッドを教えてくれる価値の高いセミナー」
のはずなのに、何故たった4人しか集まらなかったのか。
最低でも5名の申し込みがなければ開催されないはずなのに、何故少人数で強行されるのか。
始まる前から疑問と不安が情けなく心をよぎったが、意気込んで会場入りした私は心に浮かんだ暗雲を見なかったことにした。
人間は支払った金額が大きいほど自分がした選択の過ちを認められなくなるもので、当時の私にとって15万円は大金だった。
旅費などかかった経費も含めれば、そのセミナーにかけた金額は20万円に近い。
その時の私を盲目にさせたのは、崩した貯金の重みだけではなかった。
「このチャンスに賭けたい」
という焦りと、社会経験の少なさと無知から来る自信の無さだ。
知識と経験が足りないばかりに、増田の嘘や適当さがその場で見抜けず、もの慣れた態度と爽やかな語り口に誤魔化されてしまった。
自信が無いばかりに、疑問を感じても
「間違っているのは私の方かもしれない」
と、口をつぐんでしまった。
「今だったら」と、思う場面は幾つもある。
一例をあげると、当時の増田はブログを書いており、
「毎日更新することを自分に課して3年になるので、相当な量の記事もたまり、そろそろ書籍化出来る」
と胸を張っていた。
今なら
「こんな生温い内容で喉ごしの悪い文章が本になるわけないだろう」
と鼻で笑うが、当時はブログというものについてほとんど知らなかったので、あっさりと真に受けて感心した。
そして、不味いビールのような彼のブログをしばらくは我慢して読んでいた。
「書いてある内容を飲み込めないのは、私の理解力が足りないせいだ」
と考えたのだ。
私の理解力不足が原因ではなく、実際に増田のブログは中身が無くて退屈なのだと分かったのは、ブログサービスの仕様を学び、3年も書いているのに彼のブログにはほとんど読者が居ないと気づいてからだった。
また、セミナーで伝授されるのは増田が開発したオリジナルメソッドという触れ込みだったが、それも実際には様々なビジネス書と自己啓発書から引っ張ってきたノウハウのつぎはぎだった。
それを知ることができたのは、読書を厭わなかったおかげだ。
私は3日間のセミナーの最中に、増田が「この本は良い」と漏らした書籍のタイトルを全てメモに控え、セミナーが終わるなり全冊買い揃えて片っ端から読破したのだ。
そのようにして、プレコース終了後から徐々に増田のメッキは剥がれていった。
彼が当初期待したような人物ではないと気がつきつつも、私はまだ自分の間違いを認められず、次に案内された認定講師コースにも申し込み、更に15万円を振り込んだ。
「このメソッドをマスターし、私が立ち上げた協会の認定講師になれば稼げる。私は皆さんに大いに稼いでもらいたいのです」
と、胸を叩いていた増田本人から困窮の気配を嗅ぎ取ったのは、その認定講師コース受講中のことだ。
プレコースでは、落ち着いたホテルの広々とした会議室が会場だった。
スタッフが2名、休憩用に菓子類が山と積まれ、飲み物のペットボトルもふんだんに並び、昼食もそのホテルの展望レストランでコース料理が用意されていた。
しかし、認定講師コースは小さなレンタル会議室に場所を移し、スタッフも居らず、おやつの用意も無く、1日目の昼食は近くの居酒屋チェーンで千円のランチ。
2日目に至っては、彼の妻が買ってきた神戸屋のサンドイッチだった。
百円単位で節約するほどケチになった増田の変化に驚いたが、それよりもサンドイッチを差し入れにやってきた、見るからに浪費家らしい妻の様子が気になった。
最早年齢に見合わない派手なメイクに巻き髪、睫毛のエクステンションにブランドのバッグとワンピース。
華やかに着飾り、乙にすました増田の妻がどのような人種であるかは見れば分かる。
自らは働く気のない主婦でありながら、社交と美容、子供の教育には身の丈以上の金を使うタイプだ。
現に増田の長女はバレエ留学中であり、次女は私立小学校のお受験を控えていた。
まるで窓から投げ捨てるように金を使う女が妻では、増田が幾ら稼いだところで足りることはないだろう。
増田は保険の営業マンとしては優秀で、それなりの年収は稼いでいたはずだが、脱サラして情弱ビジネスという浅ましい稼業に手を出したのにはこうした訳があったのだ。
私は増田の私生活を垣間見て、この高額なセミナーは彼が家族の濫費を賄うために思いついた集金の手段なのだと理解した。
認定講師コースを途中で放棄するかどうか結論を出す前に、私は彼を試す為に一通のメッセージを送った。
増田が代表を務める協会の認定講師として活動するにあたっては、教材が支給される代わりに、年会費と売り上げの一部を納める必要があった。
私はこの条件の撤廃を求めたのだ。
認定講師の資格を取得しても上納金は払わない。
その代わり、今後私が主催するセミナーには増田を特別講師として招き、その講師代は払うと提案した。
増田が肩書きを持たない私を軽んじていることは分かっていた。
だからこそ、取るに足らないと馬鹿にしている相手から損になる交渉を持ちかけられるなど腹に据えかねるはずだ。
もしも、私の提案をはねつけるなら、彼にはまだ余裕がある。
しかし、私に譲歩するとしたら、彼の足場はすでに崩れており、日々の生活の金の工面にも困っているはずだと踏んでいた。
金をドブに捨てたと認めるのは胸が焼ける思いだが、破滅に向かう人間とこれ以上関わり合うなどごめんだった。
果たして、彼は私の要求を飲んだ。
返金請求が受け入れられないだろうことは最初から分かっていた。
送ったメッセージの既読無視も予想通り。
私は手を打って、協会の理事として増田が名を借りていた人物に手を回し、その人物から増田に圧力をかけてもらうことで返金させた。
セミナー中には増田の指示で、「傾聴のワーク」、「共感のワーク」、「クロージングのワーク」など、様々なゲームをさせられた。
絶対にプレイヤーが勝てないように仕組まれたそれらのゲームで私は踊らされるばかりだったが、すっかり頭が冷えた後の心理戦で勝ったのは私だ。
ゲームは常により余裕のない者が負けるのだ。
情弱ビジネスは、窮地にある人間の弱さにつけ込むゲームである。
貧しい者、自信がない者、淋しい者、無知蒙昧な者など、懐疑の力を失った弱者たちの心と理性の隙から手を伸ばし、残酷に金を抜き取るペテンのゲーム。
増田は頭の悪い男ではなかった。
彼は弱者に財布の底をはたかせるゲームの本質を理解した上で、搾取する側へ回ろうとしたのだろう。
しかし、彼はゲームの仕組みは理解していても、プレイヤーの心を掴む才能は無かったようだ。
スマートではあったが、他人を利用することしか考えず、しかもそれを態度に出すため、同業の仲間も餌食にするカモも離れていく。
やがて、50万円になるはずだったセミナーは5万円に値を下げ、ブログは2016年を最後に更新が止まった。
協会も活動している様子が無い。
増田を私に紹介した知人は、
「あんな男を紹介して大変申し訳なかった」
と後に謝罪をしてくれた。
彼も大金を失った後にゲームから抜けたのだ。
謝罪には及ばない。
確かに、増田は「あんな男」だったし、ゲームで没収された掛け金は安くなかったが、私はその経験を糧に綴った文章で失った以上の金はとうに取り返したのだから。
情弱ビジネスを制するにはプレイヤーでは勝てない。
弱者から搾取するゲームはプレイヤーではなく、フィールドを用意し、ルールを定める者が勝つ。
だから仕組みが分かり次第善人は逃げ出し、悪人はゲームの新シリーズを出してヒットを狙う。
そして、いつまでも仕組みに気づくことのない愚者だけがフィールドに残るのだ。
私がなけなしの掛け金を吸い上げられたのは、試行錯誤と、時間をかけて実績を積み上げる努力を省き、手っ取り早く稼ぐ手段を手に入れようとする己の欲に負けていたからだった。
カモとして食い尽くされる前にゲームから脱するには、まずは自分と向き合うことだ。
そして、一矢報いたければ、デッキに残る自分の手札を確認し、戦えそうなカードを駆使して敵をねじ伏せ、相手の「強欲な壺」を墓地へ送れ。
続いて、フィールドにトラップカードを伏せて、ターンエンドだ。
マダムユキ
ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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