美人上司のパワハラ指導でうつ病寸前に 今は感謝しているその理由とは

 

憂鬱な気持ちでワイシャツに袖を通す。緩慢な動作でネクタイをしめる。

外は晴れていて、いい天気になりそうだ。

こんなにさわやかな朝にも関らず、なぜこんなに気分が重いのか。

理由は明白だ。

会社に行きたくないのである。

 

「あぁ今日も先輩に正論でつめられるのか…」

 

そんな暗い気持ちで頭がいっぱいになった瞬間に目が覚め、夢であったことに心の底から安堵する。

 

それにしても、である。

もう10年以上も前のことにもかかわらず、いまだに悪夢として思い返される、この思い出は何なのだろうか。

 

先輩はいつも正しかった。

そして、それゆえに僕の精神はギリギリのところまで追い詰められたのである。

 

出典:文部科学省「学校組織マネジメントの在り方

 

ある日、急にベッドから起きられなくなった

十数年前、駆け出しの編集者だった僕は、ある雑誌の編集部で下っ端として修行を積んでいた。

そこで3年ほど過ごしたのだが、当時の僕は先輩が求めるクオリティの仕事をこなすことができず、日々つめられまくっていた。

それでも現在、僕がまがりになりにも編集者として働くことができているのは、この時期に身に着けたスキルのおかげである。

営業マンとしての経験しかなかった僕が、学生時代に夢見ていた編集者になれたのは、間違いなくこの3年間があったからだ。

だが3年間、特に最後の1年は正直いって地獄のようだった。

先輩につめられまくり、そうした苦境を共有、相談できる上司や同僚もいない中で、僕の精神は追いつめられていった。

そして、ある日の朝、突然ベッドから起き上がれなくなり、数か月の療養を経て復帰したものの、半ば逃げるように転職することになったのだ。

 

今でも自分の中に生きる先輩の貴重な教えの数々

当時の僕の教育係は、非常に優秀な女性の先輩だった。

彼女の教えは今でも役に立っている。

後に部下らしきものができたとき、当時の先輩と同じことを言っている自分に気づき、驚いたほだ。

 

例えば、よいアイディアが思いつかず、企画を出し渋る僕に先輩は言った。

「あなたが企画を考える時間を増やして上がるクオリティより、スケジュールが遅れることによって下がるクオリティの幅の方が大きいってわかってる?」

「・・・」

「スケジュールの遅れは、それだけ致命的なものだと思いなさい!」

 

まったくもって正論だ。

この考え方は今でも僕の心に深く刻み込まれている。

一緒に仕事をした人であれば、この類のセリフを僕が言うのを聞いたことある人もいあるかもしれない。

 

また、先輩は雑誌の誌面は必ず完成品から逆算して考えるべきだと僕に説いた。

完成した紙面のイメージをしっかりともたずに取材に行くと、現場で必要な構図の写真をおさえることができないからだ。

この助言を聞いている時、僕の前にはオフィススーツ姿の女性の写真が何枚かあった。

僕が担当していた連載は「女性研究者」を扱うものだったにもかかわらずだ。

先輩はつとめて冷静に「せめて白衣を着てもらうとか、執務スペースで撮影させてもらうとか、そういう方法はあったんじゃないの?」と指摘した。

僕は自分の準備不足を思い知らされ、冷や汗をかいた。

 

さらに、先輩は、「編集者は徹底的に書き手をサポートするべき」という考えを持つ人だった。

遠方に取材に行く際の切符の手配から、資料集め、請求書のやり取りまで、書き手のストレスを最小限におさえるための努力を惜しまなかった。

 

先輩のレベルには達しないものの、このような姿勢は僕にも受け継がれている。

数年前、僕が編集者として、あるライターに発注した原稿を収録した書籍が賞を取った。

その本の後書きで、著者がお世話になった人として挙げた中に自分の名前を見つけたとき、僕は先輩のスピリッツが自分の中に生きていることを改めて実感した。

 

このように先輩の言うことはすべて正しかったし、僕への接し方もきわめて理性的で決してパワハラじみたものではなかった。

それでも僕は追いつめられていったのである。

 

 ”正しさ”は時に凶器にもなる

先輩はとにかく正しすぎた。

例えば、上記の先輩の命令に従いスケジュールを守って企画案を提出したら、そのクオリティをこれまた同僚の目の前で、正論で詰められるのである。

 

「スケジュールを守ってもここまでクオリティが低いと何の意味もない!」

「努力してると言うが、少なくともこの企画書から努力の跡は見えない!」

「ここ数か月の間で少しは進歩していると言うが、私が求める水準には達していない!」

 

スーツが似合うかわいい女性で、しかも理知的な先輩だ。

だからこそ、言葉の正しさと屈辱で意味がわからなくなった。

まさに「丸い刃はなお痛い」という奴である。

こんなことが半年ほど続き、追いつめられた僕はついに会社に行けなくなった。

 

自身も激務だった先輩は、自らの負荷を減らすべく本気で僕を育てようとしていたと思う。

指導の内容を生かしきれず、キャッチアップできなかった僕にも大いに問題はあるだろう。

そして、繰り返しになるが、先輩の教えは今でも僕の中に息づいていて役にも立っている。

 

こうした事情はすべて理解しているつもりだ。

だが、その一方で先輩の指導が、その正しさゆえに僕の精神を深く蝕み、傷つけたことも事実だ。

長い時間が流れた今でも悪夢を見せるほどに。

 

“正しさ”を凶器にしないために

有川浩の小説『図書館戦争』の中に「正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない」というセリフが出てくる。

先輩は、別に正論を武器にしているつもりはなかったと思う。

だが、正論が時に武器どころか凶器にもなりうるということに無自覚だった。

あるいは知っていて「立て!私の受けた訓練はもっと厳しかった」という鬼教官のような気持ちだったのかもしれない。

 

いずれにしても、先輩は貴重なリソースを割いて指導した後輩の育成に失敗し、僕は病んだ。

この騒動で幸せになった人間は一人もいないであろう。

 

正論は時に武器になり、誰かを傷つける凶器にもなりうる。

自身の経験から、そのことを骨身にしみて知っている僕は人に正論を言うときほど、なるべく穏やかに、十分に自分が丸腰であることをアピールしつつ発言するように意識している。

「私はこれから正論をいうけれど、それを凶器として使うつもりはありません」

と相手に伝えることこそが、正論を言う際に最も重要だと思うからだ。

こうした貴重な教訓を残してくれたことも含め、現在の僕は先輩の教えにとても感謝している。

僕の仕事人生に大きな影響を与えた人物の一人と言えるだろう。

 

一人の社会人として、それなりに自信がついた今、先輩に会う機会があったら、僕はなんというだろうか。

当時は十分に生かしきれなかった的確な教えの数々に感謝し、頭を下げたいという気持ちもあるし、それが正しい対応であることは心底理解している。

だが、そうした理性的な正しさをねじ伏せるほどに、黙って中指を突き立てたい気持ちが腹の中でうずまいているのが正直なところだ。

皆さんも正論を言う際は気を付けて欲しい。

 

ちなみに『図書館戦争』では上記のセリフの後にこう続く。

「正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない。お前が使ってるのはどっちだ?」

 

 


 

【著者】永田 正行

大学卒業後、零細出版社に広告営業マンとして勤務。

その後、会報誌の編集者を経てネットメディアの編集記者となり、政治家や大学教授へのインタビューを多数手掛ける。

好きな言葉は「ミラクル元年 奇跡を呼んで」の西武ライオンズファン。

https://twitter.com/jake85elwood