コンビニからエロ本が消えて1年以上の時が過ぎた。
東京五輪に向けた浄化作戦の一環として、売り場が撤去されたのが2019年の8月。
これで世界中からやってくるお客様に日本の恥部を見せずに済む…と思いきや、まさかのコロナ騒動でオリンピック自体が延期となった。
世間的にはどうでもいいトピックかもしれないが、コンビニ売りエロ本という狭い業界にもそれを生業とする者がおり、そしてごくわずかとはいえファンが存在する。
かくいう筆者も、この一件によって長年携わってきたエロ本編集者の職を失ったひとりである。
むろんお上に言いたいことは、山ほどある。
コンビニからエロ本をなくしたところで、週刊誌や実話誌がここぞとばかりに裸ページを増やしてきたら全く無意味。
実際、オヤジ向け雑誌の表紙に並ぶ見出しには、最近はエロ本もかくやというものが多い。
そもそも外人サマに自国をよく見せようとする意識自体、いかがなものか。
北京オリンピック開催前、枯れた街路樹を緑のペンキで塗った中国を、我が国は笑えないではないか。
しかし、筆者が第一報を聞いた時の本音を包み隠さず言うと、
「これでもうエロ本を作らずに済む」
やっと終わるという、一種安堵のような気持ちであった。
自分はエロ本編集者を、辞めたくても辞められなかったのだ。
なぜなら、子供の頃から憧れていた仕事であったから。
世の中に自分が本当にやりたいと願う、もしくは願っていた職業に就ける人は、そう多くない。
というか少ない。
自分の場合、カタギとは到底いえない職種ではあるけれど、一応は夢を叶えてしまった者。
己の意思で選んだ進路である以上、そこから逃げるのは幼い頃の自分に対する裏切りである。
ゆえにこの仕事に対する限界を感じていながら、引くに引けない状態だったところ、自分を納得させられる言い訳ができたわけだ。
それからいろいろあって、現在は薄汚れた過去をロンダリングし、異国でハダカとは全く無縁の仕事をやっている。
そこで、だいぶ普通の感覚を取り戻しつつあるいま、改めて当時のことを振り返ってみたい。
その目的は、読者の皆様に己の好きなことを食い扶持にする苦しみを伝えたいがためである。
「普通の会社勤めなんてまっぴら。好きなことをして生きていきたい」
「今の仕事に興味も関心もさっぱりない。いつかは脱サラして好きな仕事をしたい」
その思いを突き詰めた先に、幸せが待っているとは限らないのだ。
なぜ俺はエロ本編集者を目指してしまったのか
まず簡単に、なぜ筆者がエロ本編集者を志したかを説明したい。
自分が育った愛媛県松山市は、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の舞台であり、文学の街。
同じく松山出身の杉作J太郎も昔の漫画コラムで書いているが、田舎な割にやたらと古本屋が多いのが特徴である。
学生当時、自分の友人グループは下校後にそのまま古本屋通いが定番コースだった。
狙いはむろんエロ本なのだが、連日棚をあさっていると時に核弾頭レベルの危険な古雑誌に巡り合う。
かつてヘアヌードがご法度だった時代、
「だったら毛が生えてなきゃいいんでしょ」
とばかりに刊行された未成年のヌードグラビア雑誌なんてものはまだ序の口。
中2くらいでフケ専ゲイ雑誌に出会ってしまい、ハゲオヤジ同士の絡みに衝撃を受けた。
そこに踊っている「太鼓っ腹慕情」「掘って掘られて」なんていう見出しの切れ味に、言葉通り感性をズタズタに切り刻まれた。
そういう本を学ラン姿のまま購入し、この驚きを見知らぬ誰かとシェアしたいとの思いから近くの女子校に投げ込む、という異質の青春を送っていた。
そのため、クラスの話題には全くついていけなかったが、皆より2世代くらい先を行っていた自負はあった。
そしていつしか自分は、フケ専雑誌はともかくとして、世をあっと驚かすエロ本を作りたいと考えるようになった。
その頃の情熱がいつ消えたのかは定かではないが、確実に言えるのは好きと仕事は全く別物と思い知らされたことが大きい。
出版社で求められるのは、作りたい本ではなく売れる本。
自分が編集長に就いた時には、出せばなんでも売れる時代なんぞとっくの昔に終わっていた。
そのなかで何とか利益を上げるため、最大公約数に向けた媒体作りをするわけだが、どれほど狙っても外す時は外す。
雑誌制作とは毎号が博打なんである。
続けざまに失敗すると、やがて自分の感性に自信が持てなくなる。
筆者の場合はアダルト誌がメインだったが、何がエロいか分からなくなるわけだ。
好きな仕事に就いたばかりに、後戻りできない生き地獄
むろん、全ての編集が等しく壁にぶつかるわけではなく、この手の苦悩に襲われないタイプもいる。
ガチで才能があり、実績を残し続けられる人。
能力はないが、やたらと自己評価が高い人。
あとは完全に惰性で仕事をしている人などである。
そのいずれでもない場合、好きで入った業界なのに塗炭の苦しみにあえぐ人も出てきてしまう。
それでも30代半ばくらいまでは何とか心が折れないもの。
ところが40の大台辺りが曲がり角で、自分が生み出すものを世に出せる喜びよりも、日々のプレッシャーの方が重荷になってくる。
阿佐田哲也こと作家・色川武大の『うらおもて人生録』という本には、戦後間もない頃に出版社勤めをしていた体験が綴られている。
そしてその中に、
「あの頃は、雑誌編集者の定年は三十代だ、なんていわれた」
というものがある。
時代は違えど、自分はこの言葉に激しく共感を覚える。
本当に好きで好きで堪らなければ、歳なんて関係なく、またどれほど苦しかろうが続けられるはずだ。
仕事が嫌いになるのは結局、自分の「好き」が中途半端なものに過ぎなかったということなのか。
それとも、己の能力が足りなかったせいなのかーー。
モロ出し写真に何ミリのモザイクをかけるかを思案しつつも、そんな思いが日々頭をよぎる。
さらに、こんなことも考えるようになる。
「自分の仕事がある日突然なくなって、一体誰が困るのだろう」
雑誌編集、しかもエロ本担当なんて今流行りの言葉で言う「不要不急」の極みというべき存在。
ゆえに、社会生活上不可欠な人々、いわゆるエッセンシャルワーカーへの敬意が湧く。
そこをこじらせると人様の役に立つ生き方を選ぶべきだった、なんてことまで考え始めてしまうのだ。
それでも人生は1回こっきり 挑戦の道を選ぶという方へ
とある打ち合わせで友人のアジア系ライターと戦場カメラマン、そして自分の3人で話し込んだ際、まさしくその話題になったことがある。
「渾身の企画がボツった、狙って出した本で外した…なんてことが続いた時、食品加工工場でも何でもいいから、やったらやっただけ形になり、確実に誰かの役に立つ仕事をしたくなる」
自分が切り出すと、他の2人も心が疲れていたのか、その気持ちホントよく分かると同意が得られてしまった。
そのおふた方は本業でしっかりとした実績をお持ちであるだけに意外だったが、やはりこの手の商売に携わっている人間は多かれ少なかれ、同じ悩みを抱えているのだなと感じたものだ。
この壁を乗り越えられる者こそが本物であり、自分は残念ながら、そうではなかった。
筆者の今の勤め先は前職とそれなりに近い業種とはいえ、普通の会社にありがちなストレス以上のものはない。
面白いかと言われれば疑問だが、毎月締め切りに追われながら脳汁を一滴残さず絞り出すようなプレッシャーとは無縁であり、はっきり言って楽である。
元々そういう仕事に就いている人が、満たされない思いがあるとはいえ何もわざわざ苦労を買いにいくことはないのではと考えざるを得ないのだ。
それでも俺は行く、自分の力を試すために…という方を止めるつもりは毛頭ない。
ただし、茨の道を歩むなら最低限、これは失敗だったと感じた時に転進できるよう、あらかじめシミュレーションしておいて損はないと思う。
自分はたまたま転職できたが、元の仕事にしがみついた挙げ句50代を超えた辺りで世間に放り出され、生活保護のお世話になっている者を筆者は何人も知っている。
夢追い人は讃えられてしかるべき存在とはいえ、挫折した時にその末路は悲惨のひと言に尽きる。
人生で挑戦するなら、ぜひ頭の片隅で失敗も想定した上で決断を下していただきたい。
心からそう思う。
今だから白状するが、コンビニのエロ本取り扱い中止が決まる前、自分はある計画を立てていた。
オリンピック開催期間中、各国の人々が必ずや日本のコンビニに立ち寄ることだろう。
そこで表紙に世界数十カ国語で「おま○こ」と書かれたエロ雑誌があったら、きっと衝撃を受けるに違いない。
自分にとって、それがエロ本編集長としてのキャリアの終わり。
捕まりはしないだろうが、桜田門に謝りに行かされることになるのは確実だ。
そして間違いなくクビになる。
そうして、自分の夢にピリオドをつけるつもりだった。
普通の仕事ならそんなことをしなくても、続けたければ続けて、辞めたくなったらさっさと退職すればいいだけのこと。
フツーで一体、何が悪い。
クリエイティブな仕事が偉いなんて、そんな決まりはどこにもない。
そもそもエロ本が創造的と言えるかどうかはともかく、カタギの仕事でそこそこ充実した日々を送れている筆者は、そんなことを声を大にして言いたいのだ。
もっとも、単なる負け犬の遠吠えに過ぎないかもしれないが・・・。

画像:経済産業省「儲けの落とし穴」
【著者】神坂縁
ライター、編集者、翻訳者。
週刊誌記者を経て某中堅出版社に入社。
雑誌の製作に携わっていたが、十数年勤めた会社で内紛が起こったことを機に退職&日本脱出を決意。
現在は国外の通信社に勤務し、アジアの政治・経済に関するライティングを本業としている。