「Love in the Afternoonって何だっけなぁ?」
あの日、私はロンドンの地下鉄ピカデリー線に揺られながら、ずっと「Love in the Afternoon」という言葉について考え続けていた。
東京でお世話になったアートプロデューサーの河野さんが、フランスへの出張でロンドンを経由すると言うので、ヒースロー空港で彼を出迎える約束をしていたのだ。恐らくそのまま一緒に、遅めの昼食を取ることになるだろう。
家を出る少し前、身支度をしながら見るともなくつけていたTV画面に目をやると、白黒映像で古い映画が始まった。「Love in the Afternoon」というタイトルが画面いっぱいに映し出されたところで、私はスイッチを切った。
見たことのない映画だったが、このタイトルは知っているような気がする。何だっけ?
ヒースロー空港駅が近づき、地上に出たピカデリー線の車両からぼんやり外を眺めていると、記憶の隅に引っかかっていた答えが唐突に浮かび上がった。
「あっ!そうか、昼上がりの情事だ!」
「昼下がりの情事」は、スクリーンの妖精と言われたオードリー・ヘップバーンが主演した不朽の名作である。道理で見たことはなくても、タイトルと内容は知っているはずだった。古典の名画鑑賞には一時期凝っていたのだ。
答えが分かって頭のモヤモヤがすっきり晴れると同時に、翻訳の素晴らしさに気がついて興奮を覚えた。
「あの映画って、原題はLove in the Afternoonだったのか。Loveを情事、in the Afternoonを昼下がりって訳した奴はいったい誰だ、天才か?
何て情感あふれる言葉の響きなのだろう。シンプルな原題の意味は大筋で踏まえながら、含みを持たせた語感に変えてしてしまうとは」
そんなことを考えているうちに空港につき、私は到着ロビーの人混みに紛れて河野さんを待った。
スーツケースを引きずりながらゲートから出てきた河野さんは、恰幅のいい中年のおじさんで、私を見つけると、ただでさえ細い目を一層細くして笑顔を作った。
河野さんは、ロンドンでは体を休めるために一泊し、翌朝にはパリに発つそうだ。
短い滞在でロンドンの市街地まで出るのは面倒だから、空港と直結しているヒルトンホテルに宿を取ってあるので、昼食はホテルのレストランで食べようと私を誘った。
古い建物ばかりのロンドン中心部では見かけない近代的なホテルでチェックインを済ませると、食事の前に荷物を置きたいからと、彼は部屋へと急いだ。
「ゆきちゃん、元気だった?ロンドンの生活はどう?」
と自分が聞いておきながら、河野さんは上の空で、私の話には適当な相槌を打つだけだ。
そして、部屋に入るなりベッドの上に荷物を広げると、手早くノートパソコンを取り出して電話線に繋ぎ、つんざくようなダイヤル音を響かせた。
当時はまだインターネットがなく、パソコン通信の時代だった。
「ちょっとメールチェックだけさせてね」
そう言って彼は食い入るように画面を見つめていたが、やがて諦めたようにパソコンを閉じると、私を促してホテルのロビーへと降りていった。
当時のヒルトンホテルには、フレンチだったかイタリアンのレストランが入っており、私たちはそこでコース料理と白ワインを注文して、遅い昼食をとり始めた。
学生の面倒を見るのが好きな河野さんは、東京にいる頃もよく私を含めた学生たちに食事をご馳走してくれたし、私はアートについてや業界のことなど、さまざまな知識を彼から耳学問で教わっていた。
いつもは河野さんがよく話し、教えを乞う私は聞き役に回るのだが、その日の昼食で彼はめずらしく静かだった。
まだ20歳だった私は、人の顔色を読んで気を使うことなどできない。
後から理由が分かってみると、「そういえばいつもと様子が違って元気がなかったな」と合点がいくのだけれど、その時には黙りがちな河野さんに変わって、私が一方的にロンドン生活の報告をまくしたて、無邪気にワインを飲み干していた。
「ゆきちゃんは元気でいいね。気が紛れるよ。この後予定がないなら、夕食も一緒にとろう。
ところで、出かける前に一度部屋に戻ってもいいかな?大事なメールが来ているかもしれないから」
エスプレッソが出てくるまで2時間近くかかった昼食を終える頃、すでにロンドンの陽は傾いていた。
時間をかけてフルコースのランチを頂いた私はもうお腹がいっぱいで、晩御飯はいらなかったし、2時間も喋り続けた後には話すべき話題も残っていない。
それでも、河野さんとは滅多に会えないのだからと快諾し、私たちは気分を変えてロンドン中心地のチャイナタウンへ足を伸ばすことにした。
当時45歳だった河野さんは、日本からロンドンまでの長時間フライトで相当くたびれていたはずである。
翌日のフライトまでヒースローから出ることなく、たっぷりと休息と睡眠を取るためにエアポートホテルに部屋を取っていたと言うのに、私は疲労とアルコールが回った彼を片道1時間半もかかるチャイナタウンへ連れ出そうとしていた。
あの日の河野さんと同じ年齢になった現在の私は、若かった自分の残酷な無邪気さに冷や汗が出る思いだ。
けれど、彼は
「ちょっと勘弁してよ」
とは言わなかった。
部屋に戻ると、河野さんはまた思いつめた表情でパソコンを凝視し、長いため息をついて私に向き直ると、チャイナタウンへ向かうために部屋を出た。
地下鉄の中でも、レストランでも、もう私たちの会話は弾まなかった。
黙りがちな河野さんに代わって喋り続けていた私もいい加減くたびれていたし、何より全くお腹が空いていないので、せっかくの人気店の中華料理も美味しく感じられない。若い私がそうなのだから、いかに健啖家であるとはいえ、河野さんもそうだったはずだ。
それでも私たちは時折り言葉を交わしながら、北京ダックを無理やりビールで胃に流し込んだ。
長旅と時差で疲れ果てていたにも関わらず、河野さんが昼寝もしないで終日私と居た訳を聞かされたのは、彼をホテルの部屋に送り届けた後だった。
部屋に戻るなりまたメールチェックを始めた河野さんが、パソコン画面から目を離さないまま、別れの挨拶をしようと待っている私に苦しい胸の内を語り始めたのだ。
「今日は付き合ってくれてありがとう。一人では居られなかったんだよ。僕は、今日なにかといえばメールチェックしていただろう? 実はね、女の子からのメールを待っていたんだ。本気で好きになった人が居てね…。
飛行機の中にいる間もずっと、彼女から返信が来ているかもしれないと思うと、いてもたっても居られなかった。だけど、ホテルにチェックインした後も、昼食を終えた後もまだ来ていなくて…。
来るか来ないか分からない返事を、この部屋で一人で待ってるなんてできなかった。付き合わせて悪かったね」
河野さんが恋した女性は、六本木にあるクラブのホステスだと言う。
「エリカっていう女の子でね。そのクラブは仕事でも利用するし、時々通ってたんだ。エリカはまだ25歳だから、僕と年は離れているけど、気が合うって言うか、すごく会話が弾むんだよな。
彼女は若い頃から水商売で生きてきた女の子だけど、きちんとしているし頭もいい。美しいのはもちろんなんだが、面白い子なんだ。
店に行くと、よく彼女をからかって遊んでてさ。彼女の方でも『河野さんて面白い人ね』なんて言ってくれて、僕のことを特別に扱ってくれるようになった。けっこうプライベートな話もしてくれるようになって、気がついたら強く惹かれてた。
好きな気持ちが大きくなって、段々苦しくなってきちゃって、出張の前夜に思い切って告白したんだよ。
だから、ロンドンに着くまでの間に彼女からの返事が届いてるんじゃないかと思ってね。それで何度もメールチェックをしていたんだ。
今日1日待ってたメール、やっと来たよ。『河野さんは私にとって大事な人だけど、そういう気持ちにはなれない』ってさ。フラれてしまった…。僕と彼女の間には、特別に通じるものがあると感じていたんだけどな。
ごめんね。もう帰っていいよ。今日はありがとう」
未熟な私が気の利いた慰めの言葉などかけられるはずもなく、私は傷心の彼を部屋に残して、空港ターミナル駅へと踵を返した。
こんなことを思っては河野さんに失礼なのだが、駅のターミナルを歩きながら、私は人間て面白いなぁと感心していた。
その告白を聞くまで、私は河野さんのことを大変な愛妻家だと思っていたのだ。
彼は、
「僕の奥さんはとってもセクシーなんだよ」
と学生たちの前で惚気ていたし、不安定な仕事をしている自分を支えてくれる妻への感謝を常に口にしていた。
その彼が、同じ口で20歳も若いクラブホステスに本気で恋をしていると言う。
彼は、決して頭の悪い男性でも、イタイ中年オヤジでもない。けれど、若い頃から色香を売り、夜の水で磨き上がった女性からの「あなたは特別」という言葉や、気を持たせる態度を真に受けるのは流石に滑稽だった。25歳という年齢だって怪しいものだ。
エリカさんにとって、河野さんはいいお客さん以上の存在ではなかっただろう。もしかすると父親のように思って慕う気持ちはあったかもしれないが、そんな相手から本気で好きだなどと言われるのは気持ち悪いし面倒だったはずだ。
私にも夜の勤めに出る友人知人は何人か居たが、彼女たちは自分好みの若い男や本気で狙った相手には、自分から連絡先を渡してさっさとくっついてしまうのが常だった。
彼女たちを自分から口説かねばならない男は、その時点で本気で相手にされる見込みはないと心得るべきなのだ。
河野さんがあと20歳若く独身であったなら、エリカさんの恋の相手に選ばれる可能性もあったかもしれないが、堂々たる妻子持ち一般中年男性になった今の彼には届かない夢である。
なのに、
「彼女は他のプロの女性たちとは違う」
「僕は彼女にとって、他の客とは違うはずだ」
と思い込んでしまうとは、なんて可愛らしいのだろう。
そう言えば、「昼下がりの情事」も、若く美しい女性と、中年男性の恋物語だ。
オードリー・ヘップバーン演じるアリアーヌは、大富豪のフラナガンに恋をして、プレイガールのふりをして彼に近づき、翻弄する。
フラナガンはすっかり参ってしまうのだが、小悪魔のような彼女の振る舞いは全て演技で、本当のアリアーヌは純情な乙女なのだということがやがて明らかになり、愛しさが溢れたフラナガンは彼女を抱き寄せ、親子ほど歳の離れた二人は結ばれる。
そうした筋書きは世の男性諸氏の永遠のファンタジーなのだろう。
男というものは幾つになっても心が少年のままなのだ。いや、むしろ、中年になったからこそ心が少年へと還っていくのだ。
私はその可笑しさに笑みを浮かべながら、ピカデリーサーカス行きの列車に乗り込んだ。
【著者】マダムユキ
ネットウォッチャー。
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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