何をやってもうまくいかず人生に疲れた私が、合気道に出会って人生を取り戻した話

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これは、ヘタレな私が大人になっても大事にしてきた自分の中二マインドに救われたお話です。

何をやってもうまくいかない子供時代

私の記憶が正しければ、唯一「リア充」と呼べる時期を味わえたのは、保育園時代の5歳までです。
その頃は保育園に通うのが辛かったという記憶がありません。


それ以後の学校生活は、辛かった記憶が6歳から鮮明に残っていますので、記憶のない保育園時代は幸せだったに決まっています。


小学校に上がると同時に引っ越したのが運の尽き、知らない土地で私の根暗が炸裂し、あれよあれよという間にいじめられっ子になりました。


毎日辛くてたまらないのに弱音が吐けず、親の前ではその事実を隠し、楽しいそぶりをしていました。友達がいるふりもしていました。


このいじめられっ子生活は、小学校の6年間続きました。
孤独な私の唯一の楽しみは、おこづかいで買う「週刊少年ジャンプ」と「週刊少年マガジン」でした。

漆黒の営業ウーマンになり、絶望したところで合気道と出会う

中学校と高校では目立っていじめられはしませんでしたが、友達はほとんどおらず、変わり者で暗い女ポジションを常にキープしていました。


ありがたいことに大学に進学できたのですが、勧誘されて入った文化系サークルでも、暗くて中二病を拗らせている私は周りから浮いていました。


小中高はダメでも大学では楽しい生活が待っているかもしれない、という私の期待は打ち砕かれ、のちの就職活動もやる気が出ず、仕事を探し始めたのが卒業の3ヶ月前という有り様です。
なんとかすべり込めた会社は、黒光りした漆黒の企業でした。


晴れて営業ウーマンになったものの、なんだかよくわからない業界のなんだかよくわからない特殊な製品を売るルート営業で、話も下手なのでお客さんに呆れられてばかりでした。


入社して半年、こんなわけのわからない会社でヘタレのまま生きている事実が辛すぎて、初めて「変わりたい」と思うようになりました。


そんなある日の休日、昔のドラマが観たくなり実家でビデオテープを漁っていたら、家族の誰かが録画したと思われる10年前のバラエティ番組が入ったビデオテープを発見しました。


気になって観てみたところ、そこに入っていた「たけしとさんまの超偉人伝説」という番組の「神様と呼ばれた男」というタイトルコーナーで、目を見張りました。


古いモノクロ映像に映る小柄な老人が、ロバート・ケネディ大統領の大柄なボディーガードをいともたやすく制してしまったのです。


その老人は、生ける伝説と言われた合気道九段の塩田剛三先生でした。
私は塩田先生の袴姿とその技を見て、あまりのカッコよさに目が釘付けになってしまいました。


そしてそのコーナーは、塩田先生の名言で締めくくられていました。
「合気道の究極の技とは、自分を殺しにきた相手と友達になることさ。」


私はその決め台詞で完全にノックアウトされてしまいました。
そっと守り続けてきた私の中二マインドに、これほど突き刺さる言葉が他にあるでしょうか?
胸の奥が熱くなり、魂が震えました。


合気道なんてインチキだろ?という意見があるのも知っています。
私も、本当に技が効いているのだろうかと思ったりもしたので、さんざんネットで調べました。


しかし、肯定する情報も否定する情報も、両方出てきます。
しまいには2ちゃんねるの「最強の格闘技は何なのか決めるスレ 11戦目」などで延々繰り広げられる熱い議論を見守り続けたりもしましたが、決着はつかず、合気道の謎は深まるばかりでした。


……結局のところ、やってみないとわからない、という結論になりました。


ところが、実は他にも私の魂を震わすものがあったのです。
それは、ボクシングです。


私は週刊少年マガジンで連載している「はじめの一歩」が大好きだったので、ボクシングか合気道かで悩みました。


強いってなんだろうと本気で悩みました。
鷹村さんと伊達さんは憧れのスーパースターだけれど、不世出の達人と言われた塩田先生もカッコいい……。


畑山選手vs坂本選手の世界戦を観て痺れたけれど、道着の袴も渋くて気になる……。
坂本選手が偶然バイト先に来店されて大はしゃぎしてサインをもらったこともあるけれど(男前で渋くてとてもカッコよかったです)、非力な私が大きな相手を倒せる可能性があるのは、合気道だ……。


どちらもあまりにも私の心を掴んで離さないので、体験トレーニングに行こうと思い、まずはボクシングジムの近くまでおそるおそる足を運びました。


少し離れた電信柱の陰でモジモジしていると、サンドバックをバンバン叩く音が聞こえてきます。その音にビクビクして二の足を踏んでいたら、ジムの会員とおぼしき若い男性が扉を開けて中に入っていき、「うーっす!!!!」とものすごく大きな声で挨拶をしたのです。


私はビックリして恐れおののき、「自分にあんな挨拶はできない」と悟り、ジムの門を叩くのをやめ、合気道を選びました。

合気道の教えが、営業に生きる

私が入門した合気道道場は、合気道七段の70代の先生が運営していました。
先生は、銀幕スターのような整った甘いマスクをしています。
笑顔が素敵なのですが、当然ピリッとした怖い雰囲気もあります。


当時、黒帯の袴の方は10名ほどおり、男性ばかりでした。
袴をはけるのは黒帯のみで、白帯は上下白の道着です。


黒帯の皆さんはとても紳士的で優しいのですが、噂によると先生の鬼のように厳しい指導をくぐり抜けてきた精鋭たちらしく、笑顔の裏にある緊張感が半端じゃありません。


あとで知ったのですが、私の入った道場は合気道の流派の中でも特に指導が厳しく、実践派のところだったそうです。


基本ヘタレな私なのですが、黒帯の方々の袴姿や所作や佇まいがカッコよすぎて、怖いけれど黙って言うことを聞き続け、道場にせっせと通っていました。


手を掴んだり投げたりと、他人と身体接触することが多いので、対人恐怖気味の私にはリハビリにもなっていました。


ちなみに、合気道は本当にすごいのか?と聞かれたら、未熟者の私が語るのもおこがましく、「たぶんすごいと思う」としか言いようがありません。


なんとなくですが、先生は人間の骨格・筋肉・神経の構造と、合気をかけるタイミングを知り尽くしているから、自分より大きな相手でも制することができるのではないかと感じました。


しかし、筋肉隆々のフランス外人部隊が殺意を持って向かってきたらどうなるんだ……?と、前に調べた2ちゃんねるのスレッドに引きずられて疑問に思うこともあります。


個人の技量や、どのような条件下での対戦になるかに寄るところも大きいので、その答えはやはり藪の中です。


合気道は、相手を殺すことを想定とした技もたくさんあるのですが、自分から攻撃は仕掛けず、相手と調和をとることを大事にします。


私はよく先生に、「自分のことばかり見るな!」と怒られていました。
相手の動きをよく見て相手の呼吸に合わせ、相手が不利な動きをしている瞬間を捉えて制しますので、自分の動きにばかり集中しているとダメなのです。


塩田先生の師匠である、合気道創始者の植芝盛平先生のある本を読むと、ほとんど哲学書のような内容で、「宇宙と和合せよ」というようなことが書かれています。


「合気道に敵はいない。真の武道とは、宇宙とひとつになることだ」という一説に、なんだかよくわからないけれど感銘を受けました。


そして道場の先生からは、「合気道の教えを道場の中でだけ使っても意味がない。社会で活かせなければ、意味がない」と言われ、これまでの自分を反省しました。



今まで自分を取り囲む世界が敵のように見えていたけれど、自分が相手をよく見ようとしていなかっただけなのかな?と仮説を立てて考えるようになりました。


元来オタク気質の私は、この合気道の教えを現実に落とし込むことはできないだろうか、マンガみたいにピンチをチャンスに変えて仕事に応用できないだろうか、今たぶんマンガ的に面白くなってきているシーンだぞ、と思い、分析を重ねて営業スタイルを変えてみることにしました。

ヘタレな私が、目標をクリアできる営業ウーマンに

振り返って考えると、対人恐怖気味の時は自分に意識が集中していました。
自分がどう見えるかばかり考えて、他人を魔物扱いして、勝手に妄想を繰り広げて自爆していたのです。


自分のことばかり考えるのはやめて、とにかく人の話を聞こう、人の表情を見ようと思い、できるだけ相手(お客さん)に話してもらうように意識しました。
相手に長く話してもらうには、相手に興味を持ち、良い質問をしてタイミング良く合いの手を入れなければなりません。


初めは良い質問ができず、会話が続きませんでしたが、人間観察と事前の下調べを続けると、徐々にお客さんが話してくれる時間が増えてきました。


自分が話さなきゃと思っていたときは全然売れなかったのに、お客さんに気分良く話してもらおうと切り替えた途端、お客さんに好かれて徐々に引き合いが出始めたのです。


相手が引いたときはこちらが話し自己開示する、相手が前に出てきたときはリズム良く相槌を入れる。忙しそうな時はすぐ帰って、こちらの都合で時間を奪わない。


ビビリであるがゆえ、そんな見えない繊細なエネルギーの押し引きを見極めるのは得意で、しばらく実践しているうちに、今度はお客さんから紹介を頂くことが増えてきました。
お客さんも、自分のことを知ろうとしてくれない人からものは買いたくないんだな、ということに気づきました。


豆腐メンタルの私は無理な押し売りや飛び込みの新規開拓は苦手ですし、無視されると引きこもりたくなるので、既存のお客さんとの信頼関係や紹介連鎖のサイクルだけで会社が設定した無茶な目標を達成できるようになったとき、先輩や同僚も驚いていましたし、自分自身も驚きました。


当時、相変わらず会社はサービス残業の嵐で、社長も頭がおかしな人なのでいつか辞めたいと思っていましたが、先輩が飲み会に誘ってくれるようになったりして、ちょっとずつ会社に居場所ができ始めているのを感じました。


仕事で結果が出てくると、生意気にも顔つきが精悍になってくるようで、合気道の先生からも褒められるようになりました。


心のヒーローである先生や黒帯の戦士たちから褒められると一気にテンションが上がるので、「合気道研究ノート」なるものを作ってせっせと毎回褒められたことや注意されたことを書き記していました。


他にも黒帯の方の美しい当て身や受け身に見惚れて、なぜ自分はあのような動きができないのか、どこに無駄な力が入っているのか、などの研究を続け、黒帯には程遠いですが、少しずつ昇級していきました。


私は地道な努力が苦手です。我慢も嫌いです。
私が合気道を続けながら仕事に良い変化を起こすことができた理由は、変わりたいという強い動機と、先生たちのカッコいい姿を見て、「憧れ」に近づきたくて夢中になって行動していたからだと思います。そのため、努力してきたという実感はありません。


最初に勇気を出して飛び込んでみる対象は、たぶんボクシングでも、バイオリン教室でも、なんでもよかったのかもしれません。


私の場合、とにかく生きることが辛かったので、勇気がどうとかいうより、もがいてあがいてジタバタしていただけのような気がしますが、そのジタバタこそが大事だったのだと感じています。


ただ、基本ヘタレで根暗なのは今でも変わりません。
仕事では多少の社交性を発揮できますが、プライベートでは一人が好きですし、相変わらず友達もあまりいません。


売れる営業ウーマンになったからといって、出世したからといって、陽キャラにはなりませんし、バーベキューもハロウィンパーティーもたしなみません。
そんな暇があるなら「こち亀」を読み返します。


昔と明らかに違うのは、そんな自分でもOKと思えるようになったことです。
昔ほど道場に通う時間がなくなった今でも、合気道の先生や黒帯の皆さんは私のヒーローで、めちゃくちゃカッコいいと思っています。
10年後くらいには、私も袴をはいているかもしれません。

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東海林 あかね
大学卒業後、対人恐怖症を克服して営業職や管理職を経験したのち、独立してフリーのライターになる。


Photo:Kesara Rathnayake

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