「セックスレスに悩んでいるなら他人の嫁を借りなさい!」異能の理学博士が教えてくれた不倫の生物学的「正しさ」

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かつて「不倫は文化」という言葉が日本のゴシップ界を騒がせた。
発端はバブル末期にトレンディドラマで一世を風靡した俳優・石田純一の発言である。


歴史上ずっと存在してきた不倫を否定することは、芸術の全否定に繋がる。
そう喝破した石田だったが、本人の軽薄な個性も相まって当時はやたらと世間に叩かれた。


しかし、個人的にはこう思う。
「不倫が文化でなかったら何なのか」


日本が誇る不朽の王朝文学『源氏物語』を挙げるまでもなく、密通は平安の世から続くひとつの情愛の形に他ならない。


不倫を悪と断罪し、歌舞伎の演目から文学作品、映画に至るまで不道徳なものを全て排除すれば、言葉通り日本文化は灰燼に帰すだろう。


そうは言っても綺麗事がまかり通るのはこの世の習い。
堂々と正論を吐く者にはそれなりの覚悟と胆力が求められる。


イメージを売り物とする芸能界の住人でありながら、臆せず持論を公に投げかけた石田純一はああ見えて腹の据わった男であったと言えなくもない。


ただ、不倫は許されないなのかという問いに対し、それもひとつの文化だからという答えは確かにやや説得力に欠ける。
さらに言えば、歴史や文化といった人文学的なアプローチでは論述次第でいかようにも反論できてしまう。


一歩間違えれば石田純一のごとく、強弁するほどだらしない異性関係を自己弁護しているように捉えられることだってあるだろう。


少なくとも日本の伝統だから、などという言葉で「良識ある人々」を納得させるのは難しい。
それは令和の世となった今日においても変わらない。


そのようなことを全て踏まえた上で、なおも「人は倫理を超越して不倫をすべし」と訴える異端の科学者がいる。
元神奈川大学教授にして現在は南米ボリビアで不老不死の研究を続ける関邦博理学博士その人である。


世界的科学誌『ネイチャー』に論文が掲載された実績を持つのみならず、「水中のノーベル賞」と称されるトライデント金賞を東洋人として初めて受賞。


そんな輝かしいキャリアを誇りながら、専門とする潜水学や量子物理学などにとどまらず、ヒトの性愛、つまりセックスに関しても大胆に自説を展開する。
まさに恐れ知らずの科学者というべきこのお方に、筆者は僅かな期間ではあるが薫陶を受けたことがある。


巷に「恋愛を科学する」などと謳うサイトは少なくないが、関博士の場合はモノホンである。


むしろ掛け値なしに本物であるがゆえに、その論述はあまりにもラディカルで、現在の社会通念とは真っ向から衝突する。


博士いわく、「セックスレスに悩んでいるなら、他人の嫁を借りなさい」。
その科学的根拠や如何に!?

科学は不倫を肯定する!

ヒトが不義の愛に溺れる生物学的理由とは?


筆者が雑誌の編集を生業としていた頃、博士にはたびたび記事の監修者やコメンテーターとして誌面にご登場いただいたことがある。


南米からたまに先生が帰国するタイミングに合わせて喫茶店などでインタビューをするのだが、毎度お硬いテーマについて伺っていたはずが、30分もしないうちに話は果てしなく脱線し、過激な性愛論に及ぶのが常だった。


そのなかで特に忘れられないのが「不倫は人が生物である以上、ごく当たり前の欲求」という主張。不義の愛は科学によって肯定され得るというのである。


その極めて専門的な論述を筆者なりにごくわかりやすくまとめると、以下のようになる。


生物、特に哺乳類は性行為の際、本能的に不特定多数のパートナーを求める。
これは生物学もしくは心理学でいう「クーリッジ効果」(Coolidge effect)なる現象で、ネズミ、羊、牛、サルなどのオスで確認されており、ヒトもまた動物である以上この本能から逃れられない。


その言葉の由来となったのは、アメリカ第30代大統領カルヴィン・クーリッジ。
大統領夫妻がある農家を訪問した際のエピソードが元になっているという。


まず鳥小屋を訪れた大統領夫人は、飼育係の農夫に「この雄鶏は1日何回雌鶏と交合するのですか?」と訊いた。


それに対する飼育係の答えは「何十回もします」というもの。
夫人は「その話をうちの主人にも言ってもらえるかしら」と言い、喜々として鳥小屋から立ち去った。


続いて現れた大統領に対して農夫が夫人とのやりとりを伝えると、大統領は「では聞くが、その雄鶏はいつも同じ相手と交合するのかね?」と尋ねた。


農夫の答えは「いえ、いつも違う雌鶏です」。


大統領は笑顔を浮かべながらこう言った。
「その話をうちの女房にも伝えてやってくれ」


このベタなアメリカンジョークのごとき逸話が意味するところは、オスが異なるパートナーを求めるのは子孫を最も効果的に残すための行動であり、生物の繁殖本能に根差したものであるということだ。


男が時として自らの伴侶を性愛の対象として見られなくなるのは、何も愛情の問題だけではない。
日本人はセックスレス傾向が強いと言われるが、その根本的な解決のためにはパートナーを変えること、つまり不倫こそ生物学の見地からみて極めて合理的な行動に他ならぬ。


日本人よ、一般常識に囚われることなく、大いに性愛を享受すべし…先生の主張とは概ねこのような内容である。


だから不倫が許されるかといえば、答えは否。
ニワトリがそうだから人もOK、などという話が通るほど世間は甘くない。


そもそも先生自身、学者にありがちな研究室にこもり切りのタイプではなく、どこまでも実践の人。
持論そのままの生き様を貫いているが、ご家庭内はなかなか大変なことになっていると聞く。


歴史や科学を拠りどころにいくら理論武装をしたところで「良識」の前には太刀打ちできないのもまた、厳然たる事実といえよう。

パートナーの不倫を許せる者だけが不義の愛に耽る資格を持つ

言うまでもないことだが、既婚者が博士の話を真に受けてその通りに不倫に励めば、待っているのは身の破滅。
離婚調停の場でどれほど熱弁しようとも、主張が認められることはない。


それでも男にとって先生の話が魅力的に感じられるのは、妻帯者なら誰もが多かれ少なかれ心の中に秘めている不倫欲求を認めてくれるものだからだ。


パートナーと長く連れ添うほどに出会った頃の想いは薄れ、やがて「オンナ」として見られなくなる。
そこに後ろめたさを感じていた者にとっては救いの言葉ですらあるだろう。


ただし、早とちりは禁物。
関博士が語る「不倫肯定論」は決して男だけに都合のいい話ではない。


先生いわく、このようにオープンな性の在り方が日本に根付くためには、男の側も女性の不倫を許容することが大前提であるという。
つまりやるならお互い様、ということだ。


先生が若い頃に研究生活を送ったフランスには「結婚してから本当の恋愛が始まる」ということわざがある。
これは結婚をゴールとする日本とは真逆の思考。


当然のことながら、結婚という契約は維持しつつも互いの浮気をある程度許容するフランス人の自由な恋愛観念を、大半の日本人は持ち合わせていない。
不倫は「倫理に反するもの」という考えがいまだにこの国で支配的な理由はそこにある。


究極的には双方の自由意志のもと必要に応じてパートナーを借りる行為として、不倫は認知されるべきである。
いつかは日本も道徳の呪縛から解放される日がやってくる…そのように先生は語るが、リアルに現実を見つめれば、この国は明らかにその発展段階に達していない。


果たして妻の浮気に平気でいられる男がどれほどいるだろうか? 
自分の不倫には多めに見ろ、でもお前の不義は許さない。
何とも虫のいい話だが、こういう男性は少なくない、というか多い。


文化と言おうが科学的に論証を加えようが、不倫行為が決して社会に受容されない真の理由は、われわれ男の身勝手な意識にあるとも言えるのだ。


パートナーの浮気を許せない者は、そもそも不倫をする資格なし。
既婚者諸兄は背徳の関係に憧れる前にまず、自らの心に胸を当て、深く考えていただきたい。


見知らぬ誰かに抱かれる妻を、本当に許せるか。
怒りでも嫉妬心でもよいが、もし貴方の中で嫌な感情が湧き立つようなら、それはある意味夫婦仲の修復に可能性がある証拠。


危険な火遊びに手を出さず、己のパートナーともう一度、しっかり向き合ってみてはどうだろうか。

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神坂縁
ライター、編集者、翻訳者。週刊誌記者を経て某中堅出版社に入社。雑誌の製作に携わっていたが、十数年勤めた会社で内紛が起こったことを機に退職&日本脱出を決意。現在は国外の通信社に勤務し、アジアの政治・経済に関するライティングを本業としている。

Photo by Jéssica Oliveira on Unsplash

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