僕は日本の裏側にある南米アルゼンチンに住む女性と知り合い、1万8千キロの超遠距離恋愛を開始。
僕達は様々な工夫をして、恋愛で大切なコミュニケーションをとり、同時に相手が近くにいない寂しさを埋めた。
期間は短いながらも約1年の遠距離恋愛を経て、僕達はアルゼンチンで結婚した。

出典:文部科学省「トビタテ!留学JAPAN」
モダン遠距離恋愛のテーマは「テクノロジー、時々手紙」
大学4年生の時、しばらく放置していた言語交換サイトで、アルゼンチン人女性が僕にメッセージを送った。
僕達は毎日のように会話をし、ある日彼女に告白された。
日本とアルゼンチンの遠距離恋愛の始まりである。
1万8千キロ離れた遠距離恋愛だが、テクノロジーのおかげで、いつも彼女の顔を見ることはできた。
毎日のようにラインでチャットをして、時間があえばテレビ電話で彼女の顔を見る日々。
初めはテレビ電話で会話をする程度だったが、次第にテレビ電話中に同じ映画を観たり、散歩に出たりするようになった。
彼女のお気に入りは、日本のUFOキャッチャー。
スマホ越しに僕に指示を出し、いくつもの人形を獲得した。
ただ、毎日彼女と顔を合わせられるものの、やはり物理的に離れているのは寂しい。
ある日、テレビ電話中に彼女が涙を流した。
静かに流れる涙を手でぬぐいながら、
「側で一緒に過ごしたい」
と彼女は訴えた。
僕も同じ想いだった。
夏休み中で時間のあった僕は、彼女に会うためだけに、日本の裏側アルゼンチンまで行くことにした。
航空券をとってからは、毎日が幸せだった。
彼女に会える、毎日の生きる糧はその事実だけで十分だった。
そして、僕達はアルゼンチンの空港で初対面を果たした。
約1週間の滞在で、特別なことはしなかった。
普通のカップルがするように、一緒に食事をし、手をつないで散歩をして、肌と肌を触れ合わせた。
僕達が求めていたのは、普通の日常だったから。
遠距離恋愛で最も喜ばしい瞬間は、恋人と会えた時だろう。
そして、最も辛い瞬間は、恋人に別れを告げる時だ。
空港で僕達は大粒の涙を流し、再び遠距離恋愛へと戻った。
共に過ごした1週間で、彼女は愛の言葉を綴った小さなメモ用紙を数枚渡してくれた。
他者から見ればただの紙きれだが、僕にとってはダイヤモンド以上の価値があるものだった。
いつも財布に入れて持ち歩き、何度も何度も眺めた。
手書きの文字や絵が書かれた紙を見ると、不思議とそこに彼女の存在を感じられたのだ。
現代の遠距離恋愛では、テクノロジーを活用するべきである。
日本の裏側アルゼンチンに住む女性とも、あっという間につながれるのだから。
だがテクノロジーは、無機質な印象を残す。
彼女とのテレビ電話を終えた後のスクリーンを見て、僕は何度も虚しい気持ちに襲われた。
だが、手紙には彼女の温もりが残っていた。
遠距離恋愛中、数枚のメモ用紙がどれだけ僕を救ったことか。
僕は、毎月一通の手紙を送りあうことを提案した。
互いの存在を感じられるよう、僕達は手紙に愛用の香水を一振りかけ、彼女はキスマークさえ残してくれた。
毎月届く一通の手紙が、僕の楽しみであり、2人の愛を深めてくれるものだった。
遠距離恋愛成功のカギは信頼
恋愛関係において信頼は全てである。
信頼は時間と共に築き上げられる。
といっても、ただ一緒に過ごすだけではダメだ。
僕が思うに、正直さや弱さをさらけ出した小さな瞬間の積み重ねが、信頼関係を作り上げる。
恋人の前では格好つけたくなるが、偽りの自分を見せても良いことはない。
特に遠距離恋愛では、自分をさらけ出せないと、後々困ることになる。というのも、遠距離恋愛中は相手の良いところばかり見てしまうからだ。
一緒になった時、理想と現実のギャップが大きすぎて、相手の期待を裏切ることになるだろう。
信頼を築くのと同じくらい難しいのが、信頼関係の維持である。
遠距離恋愛中、誰もが理由なき不安に悩むと思う。
恋人が側にいないだけで、人間はペシミスト(悲観主義者)になるのだ。
彼女と付き合い始めた当初、僕もまたペシミストだった。
ある日、彼女からメッセージが届かなかった。
次の日も届かず、僕がメッセージを送っても既読さえつかない。
不安に襲われた僕は、様々な考え(おおむね最悪なもの)に頭を巡らせたが、それは杞憂にすぎなかった。
「ごめんね、停電でネットがつながらなかったの」
このメッセージが届いた時、僕は笑ってしまった。
安堵からではない。
返信が来ないという小さな出来事を、勝手に大げさなものにした自分への冷笑だった。
妄想が作り出す疑いは、遠距離恋愛の敵だ。
小さな疑念は日に日に大きくなり、探偵ごっこが始まる。
深読みによる名推理を発揮した結果、勝手に裏切られた気分になるかもしれない。
最悪の場合、根拠なき疑いが2人の関係にひびを入れる。
疑いを抱くのはしょうがない。
遠距離恋愛の宿命みたいなものだ。
だが、妄想で大げさにした疑いを相手に投げかけてはダメだ。
疑いは信頼を破壊し、愛を葬るから。
振り返ると、SNSでつながっていなかったのも、良かったのかもしれない。
当時の僕は一切SNSをしていなかった。
唯一持っていたフェイスブックのアカウントも、彼女に言われたから作成し、アプリを開くことはほとんどなかった。
SNSは誤解や疑いの温床だ。
遠く離れた恋人の日常を垣間見られるが、同時に疑いを引き起こすものを目にしてしまう可能性もある。
例えば、SNSのコメント欄で異性と話す恋人、もしくは異性と恋人が写った写真など。
だが、SNSは人々の真の姿を映す場所ではない。
サン₌テグジュペリも『星の王子さま』で言ったではないか、一番大切なことは目に見えないと。
心でSNSを見るのは不可能だ。
SNSが原因で不安になるくらいなら、恋人をフォローしないほうがましである。
どこかで遠距離時代に終わりを告げなければいけない
僕は大学生活最後の長期休暇を、彼女と共に日本で過ごすことにした。
相変わらず再会できると決まれば、毎日が輝く。
僕はアルバイトに励んだほか、少しでも費用を貯蓄するため、煙草もきっぱり止められたから、愛の力は偉大である。
12月、僕は彼女と羽田空港で再開した。
それからはあっという間に物事が進んだ。
共に過ごす中で、彼女の妊娠が発覚した。
3月に一度離れた後、少しばかりの資金を蓄えてから、彼女が待つアルゼンチンへ移住した。
2015年7月31日、僕達はアルゼンチンで結婚したのである。
僕達の遠距離恋愛は、妊娠という人生の一大イベントによって終わりを迎えた。
遠距離恋愛の期間は約1年と短く、そのうち2か月半ほど彼女と共に過ごしたが、それでも会えない寂しさは辛さを生み出すばかりだった。
実は、僕は彼女と日本で過ごした後、別れを告げるつもりだった。
彼女が住むネウケン州まで行くには、飛行機で約2日かかり、彼女と会うには最低1週間の休みが必要となる。
就職した後にそれほどまとまった休みを取るのは難しかった。
彼女のことを深く愛していたからこそ、僕は彼女と数か月間幸せに過ごして、関係を終わらせるつもりだった。
終わりの見えない遠距離恋愛で、苦しみ、傷つき、バッドエンドを迎えるより、ずっとましではないか。
中途半端に続けるのが、一番残酷である。
いつまでも遠距離を続けるわけにはいかない。
どこかで2人の未来を真剣に考えて、遠距離に終わりを告げる必要があるのだ。
一緒になる気持ちが強いのなら、早めに行動したほうが良いと思う。
愛は現在にだけ存在するものであり、未来にもあるとは限らないのだから。
問題は距離ではなくコミュニケーション
遠距離恋愛は寒さに耐える辛い冬と思われがちだ。
しかし実際は、降り注ぐ悲しみの雨が、まいた種を成長させる春である。
肉体的なつながりは希薄になるが、唯一残された言葉でのコミュニケーションで、大きな財産となる精神的つながりを築くことができるだろう。
最大の敵は、妄想が生み出す余計な疑いだ。
名探偵になってはいけない。
疑いを相手に投げかけた瞬間、信頼関係にひびが入る。
遠距離恋愛は辛く苦しいが、それは心から相手を愛している証拠であり、乗り越えた先に待ち受けるのは大きなものだろう。
奥川駿平
アルゼンチン在住のフリーライター。
アルゼンチン人と結婚するため、大学卒業後の2015年アルゼンチンへ移住。
2017年よりフリーライターとして活動。
マテ茶と伝統炭火焼肉アサードをこよなく愛する。
