ジャーナリズム研究会に入っていたひ弱な僕は、なんとなく体を鍛えてみたくなり、友人と一緒に大学のジムを訪問することにした。
思い立ったら早速足を運び、ジムのドアを開けたのだが、筋骨隆々の大男が一心不乱に己の肉体をいじめる異質な光景が目に飛び込んでくる。
-ダメだ、場違いだ。
ホンモノのアスリートが集うジムに、軽い気持ちで来るべきではなかった。
そう思い帰ろうとすると、友人の松尾はすでに受付で名前を書きはじめてしまっていた。
「・・・何から始める?」
「そうだな・・・よくわからないけどデッドリフトがいいんじゃないか?」
デッドリフトとは、床に置いたバーベルを持ち上げるトレーニングである。
ベンチプレスではなく、玄人が好むであろうデッドリフトをすることで、
「あいつら意外と分かってんじゃん」
と周囲の人々に思わせる作戦だ。
ただ問題は、人生で一度もデッドリフトをしたことがなかったことだ。
僕はこんな感じだろうと床に置いたバーベルを持ち上げ始めた。
「それじゃあ腰壊しちゃうよ」
振り向くと、170㎝ほどの坊主の中年男性が立っていた。
浅黒い肌を引き立てる真っ白のポロシャツの下では筋肉が盛り上がっており、いかにもボディービルダーといった風貌だ。
「僕は浅田。奥川君は背が高いから、特に気をつけなきゃ。まずは重量を外して、正しいやり方を身に着けよう」
浅田さんはジムで働くトレーナーだ。ひょろ長いのっぽと小デブのでこぼこコンビが、下手くそなデッドリフトをしている姿を見るに堪えられなくなったのだろう。
「筋トレで大切なのはフォームだ。デッドリフトでは、背中を丸めてはいけない。鏡を見ながらやってごらん」
浅田さんの指示に従い、僕はデッドリフトを始めた。
だが、床に置いたバーベルをつかもうとすると、どうしても背中が曲がってしまう。
「ゴリラの立ち姿をイメージしてごらん。重心を下に落とすのではなく、後ろにスライドさせる感じだ」、浅田さんは僕のお腹を押して、お尻を後ろにスライドさせた。
「いいよ!今のをできるようになろう!」
感覚を掴んだものの、思ったように体が動かない。30分ほど練習して、ようやく正しいフォームができるようになった。
「身体を動かすのって難しいんだよ。頭の中で描いてたイメージと実際の動きは変わる。だから、みんな鏡を見ながら筋トレするんだ。ナルシストじゃないんだよ」
と浅田さんは笑った。
主観と客観のずれが起きる夜の性活
身体を動かすのは難しい、この浅田さんの言葉は僕の頭から離れなかった。
振り返ってみると、思い当たるふしは多々ある。
写真を見たことで気づいた猫背、描いていたイメージとは大きく異なる野球の投球フォーム。
身体運動では、主観と客観は大きくずれてしまうのだ。
煙草を吸いながら難しいことを考えていると、ふと頭にあることがよぎった。
「セックスも同じなのでは・・・」
指摘する人がいなかっただけで、変な動きを妄想していた可能性は十分にある。
当然、誰かに教わった経験もない。
セックスの動きこそ、主観と客観が大きくずれてしまっているのでは。
僕は駆け足で自宅へ戻った。
姿見の前で、僕は一通りエアセックスをしてみた。仮説は正しかった。
特別変なフォームではないが、イメージ通りのものではない。だが、何が違うのかはわからない。
スマホを取り出し、AV男優のフォームと比較してみた。
それはかつて、イチローや前田智徳といった天才バッターたちのフォームを熱心に研究した少年時代を思い出させた。
鏡の前で動きながら、吉村卓やミートボール吉野と自分の動きを比較する。
「そうか、軸だ!」
AV男優たちは、どんな体位でも軸が安定している。
腰は動きながらも、上半身はぶれない。
軸が安定することで、波打つような滑らかな腰の動きを実現でき、効率的に女性に快感を伝えられるのだろう。
一方、僕は腰と背中が連動したぎこちない動きだった。
これでは力が伝わらないどころか、無駄なエネルギーを消耗するだけだ。
改善点が分かれば、あとは修正に努めるだけだ。
素振りやシャドーボクシングをするよう、鏡の前でシャドーセックスイングを行いフォーム固めを始めた。
安定した軸を作るための体幹トレーニング、そうデッドリフトだ。
ポイントを意識した実践と自己反省の繰り返し。
嘘みたいに聞こえるかもしれないが、僕の技術は明らかに向上した。
セックスもスポーツと同じで、正しいフォームが必要なのだ。
あらゆる場面で役に立つデッドリフトの教訓
「主観と客観は大きくずれ、そのずれをなくさなければいけない」
デッドリフトが教えてくれたこの教訓は人生のあらゆる場面で役に立った。
高級ホテルのレストランで働いていたときのこと。
勤務当初、僕はトレイ運びに苦戦した。
というのも、非日常を提供するレストランでは、数キロもあるトレイを片手で見栄え良く運ぶ必要があったから。
大量の皿だけなら腕力でどうにかなるが、不安定なワインやシャンパングラスがのると、もうお手上げである。
しかし、片手トレイ運びができなければ、ろくにホールに出してもらえない。
そんなときに思い出したのが、主観と客観の法則である。
休憩時間、先輩に付き合ってもらい、鏡の前でトレイ運びのフォームを繰り返した。
先輩と自分の姿を見比べてみると、フォームの差は明らかだった。
「こうしてみると、僕はトレイの位置がずっと低いですね。先輩は肩とほぼ同じ高さにトレイがある」
「私は背が小さくて、力もないでしょ。だから、腕じゃなくて肩と背中で運ぶのを意識してるの。あと脇をしっかりと閉めたら、力が抜けないわよ。トレイを高く上げるのは怖いけど、そっちの方がずっと楽でしょ」
先輩との違いを意識して、フォーム改善を行うと、すっかり格好いいウェイターの立ち姿になっていた。
フォームを整えるだけで、安定感は増し、大量の皿とグラスがのったトレイも運べるようになった。
この教訓は恋愛関係にも応用できる。
恋愛関係において、主観とは自分が恋人にしたいこと、客観とは恋人があなたにしてほしいことだ。
多くの男性がやりがちな間違いは、「これをしたら喜ぶだろう」と勝手に思い込むことだ。
しかし、それは自己満足のための行動であり、相手を思いやった行動ではない。
主観と客観がずれていては、どんなに高価な贈り物をしようと意味がないのだ。
コミュニケーションをとったり、相手を観察したりすることで、初めて相手の理想が分かる。
理想が分かれば、それに近づける行動をすればいいだけだ。
自己分析があってこその模倣
スポーツやビジネスなど、あらゆる物事には基本の型がある。
守破離という言葉が示すよう、初めはその道の名人や師匠にあたる人物の模倣を繰り返し、基本の型を身につけなければいけない。
もっと簡単な言葉で言えば、「上達の近道は模倣にある」だ。
しかしやみくもに模倣を試みても、決してうまくはいかないだろう。
忘れられがちだが、模倣を試みる前には自己分析が必須だ。
定期的に自分の動きや能力を確認して、お手本との差を測らなければいけない。
僕は無意識ながらも、これを実践していた経験がある。
英語学習のシャドーイングだ。
シャドーイングとは、お手本音声を完全に模倣できるまでスピーキングを繰り返すこと。
重要なのは、自分のスピーキングを分析することである。
定期的にシャドーイングの様子を録音し、音声教材と異なる箇所を分析。
そしてお手本に近づけるよう改善を繰り返すことで、ネイティブのような英語発音を身に着けられるのだ。
これは仕事や恋愛、セックス、筋トレ、言語学習などあらゆる物事に通じる考え方だ。
そして自己分析は、主観ではなく客観的に行う必要がある。
一部の才能ある人々をのぞき、僕たちは頭で思い描いた通りには動けないのだから。
この真理に気づいてから、僕は上達スピードが速くなったように感じる。
定期的な自己評価と修正の繰り返しこそが、上達の近道なのだ。

画像出典:経済産業省中国経済産業局「知らないと怖い知財の話」
【筆者プロフィール】
奥川駿平
1992年福岡県生まれ。立教大学卒。
2015年、当時付き合っていた彼女と結婚するため、アルゼンチン・ネウケン州へ移住。
2年間ほど現地で働いた後、2017年よりフリーライターとして活動中。
https://mobile.twitter.com/shunpeiokugawa
