咲耶ちゃん、今頃何をしてるのかな。
突然連絡が取れなくなった咲耶ちゃんのことを、今でも時々思い出しては、私は少し寂しい気持ちになる。
咲耶ちゃんは、私がロンドンで生活していた頃に一番仲の良かった友達だ。
年齢は私よりも3つ年上で、当時25歳だったが、職場では私の方が先輩だった。
彼女は日本人の両親を持つ、イギリス生まれイギリス育ちの日系イギリス人だった。
成人するまではイギリス国籍と日本国籍の両方を持っており、最終的にイギリス国籍を選択して、日本国籍を放棄した。
今思えば、咲耶ちゃんは家族の話をすることがほとんどなかった。
離婚していても両親は息災なはずで、兄弟もいるという話だったのに、家族と連絡を取っている様子はなく、親の援助も一切受けず、働きながらロンドン大学へ通い、自立した生活を送っていた。
何か事情があったのかもしれないが、働いて自ら生活費を稼ぎながら大学に通う学生は周囲に珍しくなかったので、彼女の家庭の事情について深く考えることはなかった。
私たちは出会ってすぐに意気投合し、互いのフラット(アパート)を行き来しあうようになったが、私の方が咲耶ちゃんの部屋に入り浸っていることが多かった。理由は単純で、咲耶ちゃんが住んでいる部屋の方がはるかに広かったからだ。
彼女は少し前まで彼氏と同棲していた為、二人暮らし用に広い部屋を借りていた。彼氏の方が先に大学を卒業して韓国で就職し、1年遅れて彼女も後を追う予定でいた。
「この部屋には愛着もあるし、あと1年だもの。引っ越す方が面倒でしょ」
と、彼女は一人暮らしには広すぎる部屋に住み続けていたのだった。
その部屋の台所で私たちはよく一緒に料理し、できた食事を食べながらお喋りをして、お金がかからないように過ごしていた。
咲耶ちゃんの生活はカツカツだった。彼氏と同棲をしていた頃は生活費を折半できたので余裕があったそうだが、一人になってからは大変だと言う。
時には電車賃にも困っていたのに、彼女から「お金を貸して欲しい」と言われたことは一度もなかった。咲耶ちゃんは困っていても貸し借りを嫌い、しんどくても弱音を吐かず、頭が良く勤勉で、さっぱりした性格が気持ちよかった。そんなさばけたところが私はとても好きだった。
初めて会った頃からずっと、咲耶ちゃんは左手の薬指にエキゾチックな七宝焼の指輪を嵌めていた。それは韓国の伝統的なアクセサリーで、在日韓国人である彼氏からのエンゲージリングだという。彼の母親から譲られた、大切なファミリーリングだと聞いた。
彼女は高校時代に日本留学しており、年下の彼とはそこで知り合っていた。
日本にいる間の咲耶ちゃんは、ある日本人の先輩に熱烈な片思いをしていたので、彼のことは眼中になかったらしい。
けれど青春の苦しい恋はついに実らず、先輩にフラれて失意のままイギリスに帰った咲耶ちゃんを彼は追いかけてきた。
自分のためにロンドン留学までしてアプローチを続けた彼の情熱にほだされて、二人は付き合い始めたそうだ。
年下の彼はとても優しく、咲耶ちゃんを大切にしてくれるという。彼女が大学を卒業するまでの間は遠距離恋愛になってしまったので、国際電話代が大変だとのろけていた。
そんな幸せそうだった咲耶ちゃんがある日、仕事に大遅刻をしてきた。
先に持ち場に入っていた私がハラハラしながら待っていると、彼女が息を切らせてやってきて、
「ごっめん!ちょっと浮気してて遅くなっちゃった!」
と、嬉しそうな笑顔で、何でもないことのように言ってのけた。
どういうことかと詳細を尋ねると、青春時代の片思いが遂に実を結んだのだと彼女は興奮冷めやらぬ様子だった。
日本留学中に大好きだった先輩がね、今は韓国で大学生してるんだけど、ロンドンに遊びに来ることになったから久しぶりに会ったの。
二人で部屋で飲んでたら、
「咲耶は本当にいい女になったな。俺、咲耶をふったのは間違いだったよ」
って言って、お互いに盛り上がってそのままヤっちゃった。朝まで一緒にいて、部屋で別れられずにここまで送ってもらったんだけど、駅に着いても離れ難くてこんな時間になっちゃった
と話してくれた咲耶ちゃんは、心底嬉しそうで綺麗だった。そして、もう薬指に七宝焼の指輪はなかった。
結局その先輩はイギリスに滞在中ずっと咲耶ちゃんの部屋に泊まることになったらしく、私も肉じゃがを作るために呼ばれたりした。
「先輩が肉じゃが食べたいって言うの。でも、私作り方がよく分かんないんだよね。ゆきちゃん、作ってよ」
と言われて奮闘したが、しらたきを切り忘れて絡まってしまったのと、短時間で調理したので味が染みておらず不評だった。
しかし、ロンドンに来ているのになぜ肉じゃがを食べたがるのか。日本人の若い男の一番の好物だと言われる肉じゃがを、いついかなる時にもさっと用意できるのが女のたしなみだとでも考えていたのだろうか。
咲耶ちゃんは先輩のやることなすことに惚れ惚れしていたが、私は彼の見た目も振る舞い方も苦手だった。
顔立ちそのものは端正だが、大柄で体格が良い彼には威圧感があり、浅黒い肌と、明るく色が抜けた髪は当時全盛期だったキムタクのロン毛を真似た髪型で、形容するなら親分肌のチャラ男だった。
当然のように夏はサーフィン、冬はスノボを楽しむのだろう。
そのいかにもパーティ好きで遊び慣れている風情の体育会系大学生は、当時私が最も苦手とする人種だった。
咲耶ちゃんによれば、彼は男にも女にも昔から非常にモテて、常に人の輪の中心に居るそうだ。とても面倒見が良いと言うことだったが、それは経済力に負うところが大きかったのではないだろうか。
彼はあちこちの国に留学しながら、26歳でまだ大学生として遊び続けていたのだから、実家が裕福なのは見て取れた。彼は中小企業の跡取りで、学生生活を終えたら親の跡を継ぐという話だった。
先輩が韓国に引き上げて行ってのち、咲耶ちゃんは韓国人の彼氏とすぐに別れた。
しかし男が変わっても、卒業後は韓国へ旅立つという咲耶ちゃんの進路は変わらない。
それまでの残り2〜3ヶ月の間、私たちは変わらず一緒に遊んでいたが、咲耶ちゃんは仕事の制服以外のスカートを履かなくなった。
筋肉質の綺麗な脚を、彼以外の男に見せると怒られるのだそうだ。
咲耶ちゃんが濃い化粧をすることは元々なかったけれど、メイクアップも禁じられるようになり、やがて私や仲良しだったゲイの友人たちと外へ飲みに行くのも禁止された。
ゲイであれ男と遊びに行くのはもちろんNGとして、例え女友達とであっても、女だけで出歩くのはナンパされるかもしれないのでダメだということだった。
彼からは毎晩、韓国から電話がかかってきて、彼女はその電話に必ず出なければならない。彼女は遠距離恋愛でありながらそうやって拘束されていった。しかしむしろ、それに喜びを感じている様子だった。
先輩からは、結婚したら専業主婦になり、子供は最低3人は産むように言われていた。
そして子供たちの良き母親になるよう求められているのだと、未来の家庭像について幸せそうに話していたのを覚えている。
咲耶ちゃんが韓国へと旅立った後、事前に教えられていた韓国の住所に手紙を送ったが、返事が来ることはなかった。
そしてそのまま、音信不通になってしまった。
あれほど一緒に遊んで親しく過ごしたのに、どうして連絡をくれなくなってしまったのだろう。
彼女の気に触るようなことをした覚えはなかったが、私を嫌いになってしまったのだろうか。あるいは、女友達との交流まで先輩に制限されるようになってしまったのだろうか。
大学では東アジアの文化と言語について学んていた咲耶ちゃんは、よく私に韓国について話してくれた。
近代化したとは言え、韓国では日本以上に伝統的な価値観に縛られており、絶対的な男性優位社会で、女性たちは男に仕えて当たり前なのだと。
そんな韓国社会の風習や文化に彼女が惹かれていることについて、当時の私は深く考えたことはなかったが、今になって振り返ると不思議でたまらない。
先輩と付き合い始める前の咲耶ちゃんは、イギリスというリベラルな価値観の社会で育った、交友関係の広い自立した女性だったのだ。自ら生活費を稼ぎながら大学に通い、学位を取得するのも並大抵の苦労ではなかっただろう。
英語と日本語が母語であることに加えて、韓国語と中国語も堪能だった優秀な女性が、なぜ古い価値観の男性を愛し、束縛を喜び、嬉々として専業主婦に収まろうとしていたのだろうか。
誰にも頼らず生きることに疲れてしまったというのか。それともお金のない生活に嫌気が差してしまったのだろうか。
その答えは今も分からないままだ。
2016年秋に、韓国で「82年生まれ。キム・ジヨン」というフェミニズム小説がベストセラーとなり、日本でも訳書が話題となった。
現在の韓国社会で問題となっている女性嫌悪は、過去の伝統社会における女性への抑圧とはまた別のものだが、この本は韓国社会における、過去から現在へとつながる女性差別の実態を告発する内容だ。
表面的に変化しても、根底は変わらない差別に、韓国の若い女性たちがはっきりと声を上げて抵抗し始めたのだ。
咲耶ちゃんはそうした社会のムーブメントを、どう思っているのだろう。
あの頃の私たちはまだ若かった。結婚への憧れが勝り、何も分かっていなかったのだ。
パートナーは束縛するくせに自分は自由で居たがるような先輩を、果たして彼女は愛し続けたのだろうか。
先輩と結婚したとして、専業主婦になって子育てに専念するだけの毎日に、不満を感じることはなかっただろうか。
青春を引きずった熱情に負け、お金持ちではないけれど自分を対等に扱ってくれた優しい婚約者を捨てたことを、後悔することはなかったのだろうか。
叶わぬ願いだが、咲耶ちゃんはあのとき何を考えていたのか、そして人生の結果が出た今は何を考えているのかと、大人になった今、改めて彼女に会って聞いてみたいのだ。
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【著者】マダムユキ
ネットウォッチャー。
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。