高校の卒業式の時、担任が一冊の本をくれた。
「車輪の下」だった。
作家はノーベル文学賞を受賞したドイツのヘルマン・ヘッセ。
悲惨な結末を迎える「車輪の下」だが、僕にとっては人生に迷った時、生き方を見直せるバイブルのような一冊となった。
「車輪の下」は、仕事や勉学、生産性ばかりに追われ、幸福や自分らしさを失った現代人の必読書だ。
現代人を救う悲劇の物語
ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだのは18歳の時。
高校の卒業式で、3年間担任してくれた恩師がプレゼントしてくれた。
今思えば、僕の性格を知り尽くしているからこそ、「車輪の下」を渡してくれたのだろう。
まずは「車輪の下」のネタバレ込みのストーリーを紹介しよう。
主人公ハンスは、他の子供たちと同様に自然や動物を愛する素朴な少年。
唯一違うのは、彼は学問に優れた天才であること。
ハンスは父親や学校の先生など周囲の大きな期待を背負い、一心不乱に受験勉強をする。
そして見事、エリート神学校への合格を果たすのだ。
しかし、神学校での規則や価値観に縛られた日々は、ハンスの神経を弱らせる。
彼は神学校を中退して、「脱落者」という不名誉な称号と共に帰省。
かつてエリートだったハンスは、同郷の仲間たちよりも遅れて肉体労働の見習いとなる。
それは肉体的にも精神的にも苦痛なことだった。
物語のラストで、ハンスは死体となって川で見つかるのである。
ハッピーエンドの小説が多い中、今作は主人公が死んで物語は終わりを告げる。
死因は分からない。
死ぬ直前に、ハンスは酩酊していたから、事故で川に落ちたのかもしれないし、もしかすると自殺したのかもしれない。
とにかく主人公の少年が死んで物語は終る。
「車輪の下」は救いのない小説と言われる。
確かに、小説を読み終わった後、陰鬱な気分になるだろう。
しかし、この救いのない作品は、現代人を救ってくれる一冊でもある。
僕達は成功体験からだけ学ぼうとしている。
でも、成功者から学んだとしても、誰もが彼らと同じように成功できるとは限らない。
一方、僕達は失敗体験からも学ぶことができる。
誰もが先人達の失敗を教訓に、人生を正しい方向へと導くことができるのだ。
100年以上前の作品ながらも、「車輪の下」は現代人の必読書である。
だって、誰もがハンスになる可能性があるのだから。
良い学校、良い仕事に就くことだけが、幸せなのだろうか。
周囲の視線や期待、価値観に捉われすぎて、自分らしさを失ってはいないだろうか。
僕達はハンスであり、だからこそハンスのような結末を迎えるのを避けなくてはいけない。
戦いなきところに、熱のある自由な生活はない
ヘッセの作品に通じて言えるのは、社会や固定観念に反抗する感受性豊かな人物が登場すること。
今作でその役を担うのは、ハンスが神学校で仲を深めるハイルナーである。
ハンスが規則を守る成績優秀な模範生なら、ハイルナーは詩と自由を愛する不良だ。
正反対の2人だからなのか、自然とハンス(そして読者)はハイルナーに惹かれる。
この魅力的なハイルナーは言葉や行動で、様々なことを教えてくれる。
中でも、僕がぎくりとしたのは、ハイルナーが毎日勉強に励むハンスに言ったセリフである。
『そりゃ、日やとい仕事さ。きみはどんな勉強でも好きで、すすんでやっているのじゃない。ただ先生やおやじがこわいからだ』
ハイルナーの言う通り、ハンスは勉強が好きなわけではない。
元々彼は、魚釣りや木陰で寝転んだりするのを好む素朴な少年である。
しかし、周囲の期待がハンスを勉強へ駆り立て、次第に彼は不安から勉強を行うようになる。
では、ハンスを追い詰めたのは周囲の人間だけなのかというと、そうではない。
ハンスにも責任はある。
ハンスもまた、ハイルナーのように自由を追及することはできた。
でも、ハンスは自由と引き換えに、周りの人間が期待する道を選んでしまったのである。
「車輪の下」を読んでいると、人生は一本の長い道ではなく、いくつかの地点で道が2つに分岐しているように思う。自分が進みたい道と他者が期待する道に。
どっちの道が楽なのかは明白だ。
自分らしさや自由を犠牲にして進む、他者が期待する道である。
その道を進めば、誰も文句を言わないし、「優秀」などの評価さえ得られるかもしれない。
でも、ヘッセはハイルナーを通じて、「自分の人生を他人に任せていいのか」と問いかけているように感じる。
神学校を退学したハイルナーは、その後も困難や苦労を乗り越え、立派な人間になったと描かれている。
ハイルナーは必死に戦い抜き、熱のある自由な生活を勝ち取ったのだ。
自由と自分らしさを求めての戦いは、心に大きな傷を残すことがあれば、負けることだってある。
だが、その戦いの最中は確実に今を生きていられる。
今を生きるとは、なんて難しいことであり、格好いいことなのだろうか。
心に余裕がなければ幸福には気づけない
「車輪の下」で僕が一番好きなのは、物語終盤の日曜日に、ハンスが機械工の仲間達と共に飲み歩く叙情的なシーンである。
ハンスは故郷に戻り、少しずつ昔の豊かな心を取り戻す。
そして、機械工の仕事によって、ハンスの生活にメリハリがついた。
僕もハンスと似たような経験がある。
世間一般で言う良い大学を卒業した後、アルゼンチンにやってきた。
だが、なかなか職が見つからず、初めの2年間は園芸店や車の修理工場で、汗と汚れにまみれる日々。
僕はブルーカラーの仕事につきたくなかった。
正直に言えば、心のどこかでブルーカラーを見下していたと思う。
というのも、ブルーカラーよりもホワイトカラーの方が幸せだと思い込んでいたからだ。
でも実際に働いてみてわかったが、外で汗を流す仕事は気持ちよかった。
同僚たちは粗暴で、裕福ではなかったが、ハンスの仲間と同じく人生の楽しみ方を心得ていた。
何よりも、余計な悩みや不安を抱えていなかったのが魅力的だった。
僕もハンスも、肉体労働にいそしんだことで、初めて他者の視線や期待などから解放された。
落ちぶれたと思う人もいたようだが、僕は清々しい気分だった。
どんなに良い会社に就職できたとしても、人間らしい生活を遅れなくなるほど消耗したら、それは不幸である。
幸せは無条件に感じられるものではない。
心に余裕がなければ、目の前の幸せにも気づけないのだ。
毎日機械的に勉強(もしくは労働)をし、心の余裕をなくした人生、それこそハンスが歩んだ悲劇だ。
車輪に押しつぶされそうになったら読むべき本
2017年から、僕はフリーライターとして活動している。
それ以来僕は必死に働き続けた。
次第に働く時間は延び、しまいには働いていない時間は不安に襲われ、常にパソコンに向かうようになった。
だが、見事なタイミングで、契約していた3社との仕事が終了してしまった。
僕に残ったのは莫大な時間のみ。
その時に、何度目かの「車輪の下」を読み始めた。
ああ、僕はまさにハンスだった。
心身を擦り減らして、車輪の下敷きになるまいと何度も決心したのに。
結局のところ、どれだけもがいても、生きている限り車輪に追われ続けるのだ。
もう少しで車輪にひかれてしまう、それは日常にある小さな幸せに気づけなくなった時かもしれない、もしくは過去の思い出ばかりにすがりついている時かもしれない。
そんな時に「車輪の下」を読むと、生き方を見直せ、車輪が再び遠のく。
久しぶりに散歩に出かけてみると、夏の陽射しが新緑の木々を美しく照らしていた。
参考資料
『車輪の下』 著者ヘッセ、訳者高橋健二
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画像:国土交通省「インフラツーリズム」
【著者】奥川駿平
アルゼンチン在住のフリーライター。
アルゼンチン人と結婚するため、大学卒業後の2015年アルゼンチンへ移住。
2017年よりフリーライターとして活動。
マテ茶と伝統炭火焼肉アサードをこよなく愛する。
