私が小学生だった頃、岡田有希子というアイドルの「Love Fair」という歌が大好きだった。
当時はまだ音楽の録音といえばカセットテープの時代で、私も好きな歌はカセットテープに録音し、ラジカセで再生して聴いていた。
好きな音楽をいつでもどこでも聴けるようになった今となっては滑稽に思える努力かもしれない。
当時の私は「Love Fair」をラジカセで聴くために、岡田有希子がゲストとして出演していたテレビのバラエティ番組をまずビデオで録画し、次にテレビのスピーカーの前にラジカセを置いてスタンバイする。
そして、岡田有希子の歌唱シーンを再生しながらラジカセで録音するというアナログにもほどがある方法で歌をテープに収めた。
当たり前だがそのような原始的手法では周囲の雑音が入るため、歌の録音中は息を詰めていないといけない。
なのに意地悪な兄が「あっ!」「わっ!」などと、何度も大声を上げては邪魔をするので、兄妹喧嘩をしながら数え切れないほどやり直したのをはっきりと覚えている。
そう、私は確かに笑顔で「Love Fair」を歌い上げる彼女の声を録音したはずだった。
その場に一緒にいた兄も分かっていたはずだ。
その後、彼女は芸能事務所の屋上から飛び降り、自ら命を絶ってしまい、その死は世間に大きな衝撃を与えた。
人気アイドルの自死だったので、報道合戦は凄まじかった。
当時は、「放送倫理って何ソレおいしいの?」という時代であったため、今なら考えられないだろう。
マスコミは岡田有希子のプライベートを執拗に暴きたてた上、血と脳味噌が飛び散った遺体の写真までもをお茶の間に流したのだ。
報道が加熱すればするほど、アイドルの死に触発された若者たちの自死も相次いだため、「後追い」が社会問題にもなった。
そうした喧騒から数ヶ月後、私は久しぶりに「Love Fair」を聴こうと思い立ち、カセットをラジカセにセットした。
相変わらずその歌が好きだったが、彼女が死んでからは何となく聴く気が失せていたのだ。
再生ボタンを押すなり彼女は歌い始めた。
Love fair 花束を添えて
Secrets あなたのお部屋に
Fove fair 私の全てを
Secrets そっと届けるわ
イントロがなく囁くような歌声から始まる出だしが、私のお気に入りだった。
テープに録音した岡田有希子の声も出だしの部分だけはきちんと歌った。
しかし、そこを過ぎると次第に崩れ始めた。
「花びら…うっ…。摘み取る…うぅっ……。い…けな…いっ子。うっ……。うぇっ…」
歌声に嗚咽が混ざり、音程が外れている。
「あれ、テープの調子が悪いのかな?もう寿命かな」
と、最初はそう思った。テープは使い込むうちに伸びて音質が悪くなるものだからだ。
しかし、どうやらそうではなさそうだ。
歌声の主は、サビのあたりまでは嗚咽しながらもどうにか歌おうと努力していたが、やがて歌うことを完全に放棄して咽び泣き始めたのだ。
「これはどういうことだろう…」
私は首を傾げた。
とりあえず、他の人も泣いているように聞こえるのか確かめようと、テープを回したまま兄を呼んで尋ねてみた。
「歌を録音したはずやったのに、泣きゆうよね?どうしてやろう」
すると、兄は
「確かに泣きゆうけど、歌手は賞を取ったりすると、嬉しくて泣きながら歌ったりするやんか。そういう時のを録音したんやろ」
と的外れなことを言う。
そんなはずはない。二人で喧嘩しながら一緒に録音したのだから、そうじゃないと知ってるはずじゃないかと私は抗議した。
だいたい、歌を楽しみたいのに、歌手が泣き崩れてまともに歌えていないシーンをわざわざ選んで録音をするはずがない。
そもそもこのテープは岡田有希子が生きている間は何の問題もなかった。
どうやら目の前で心霊現象が起こっているようなのに分かってくれない兄を追いやり、私は一人でその泣き声を聴き続けた。
「これはきっと死んだ岡田有希子が成仏できずに、こんなところへ彷徨い出たのだ」
と確信したものの、私には霊感が無くはないが、決して視えるタイプの人間ではない。
こんなにも分かりやすい心霊現象に目の前で起こられても、不慣れなのでどうリアクションすればよいのか分からなかった。
「不気味なことが起こっているのだから、怖がるべきかな」
と考えたが、それにはシチュエーションが微妙だった。
それは、まだ夏の名残を感じる真っ青な空が眩しい、爽やかな秋の昼下がりだったのだ。
もしも夜だったなら怖かったのかもしれないが、眩しいほどに明るく気持ちの良い真昼間に幽霊を怖がるのは難しかった。
結局、私は停止ボタンを押さず、ベッドの上で膝を抱えて彼女に付き合うことにした。
「可哀想だから、せめてこの歌が終わるまでは聞いてあげよう」
と思ったのだ。彼女が哀れだった。
彼女は東京で死んだアイドルだ。
いくら音楽に呼び出されたとはいえ、芸能界という別世界の人がわざわざこんな田舎までやってきて、縁もゆかりもない、彼女のファンですらない子供の前で身も世もなく泣くのである。
自ら死を選んだとはいえ、よほどの悲しみと未練と無念をこの世に残しているのだろうと思えた。
「可哀想な人だなぁ」
と、思っているうちに歌が終わり、彼女の咽び泣く声も止まった。
怖くはなかったものの、たったの数分間が随分長い時間に感じられた。
「今日はここまで。ごめんね。また聞いてあげるからね」
と声をかけて、私はやっと停止ボタンを押し、カセットを取り出して本棚に片付けた。
それを捨てようとは思わなかった。亡霊がとりついている品物をゴミとして捨てていいのか分からなかったからだ。
ただ、
「また聞いてあげるね」
とは言ったものの、やはり気味が悪くて、ふたたび泣き声を再生する気になれないままカセットは本棚に放置した。
捨てることもできず、かといってこれ以上死んだアイドルの亡霊に付き合う気も起こらず、放ったらかしのまま数ヶ月が過ぎた頃、どういう気まぐれを起こしたのか、兄が
「例のテープを貸してくれ」
と頼んできた。友人たちと回し聞きするのだそうだ。
バチ当たりだとは思ったが、テープの存在を持て余していた私は快諾して手渡した。
そしてそれっきり、テープが私の元に戻ってくることはなかった。
兄に聞いても、「どこに行ったか分からなくなった」と言うだけで、私の持ち物をなくしたことを謝られもしなかったが、あのテープが消えてくれたことに私はホッとしていた。
死んだ人に泣かれても、私にはどうすることもできないのだ。
岡田有希子が自殺した原因は失恋だと言われていた。
彼女は親子ほど歳の離れた俳優に熱烈に片思いしていたが、相手にしてもらえず、冷たくあしらわれ傷ついていたらしい。
真相は分からないが、十代の精神というものは未熟ゆえに脆いので、恋が実らない悲しみのために死んでしまうことも有り得るだろう。
自分自身を振り返っても、若い頃にはよく傷ついていた。
瑞々しい心は柔らかく、恋愛がうまくいかなかったり失恋するたびに引き裂かれて、立ち直るのが恐ろしく大変だった。
自暴自棄になったこともあるし、息をすることさえ辛く感じ、「あぁ、こんなに苦しいなら飛び降りて死んでしまいたい」と考えてしまったこともある。
しかし、激情とはそう長続きするものではない。
最も辛い時間をどうにかやり過ごせば、苦しみも悲しみも次第に薄れ、やがて新しい日常に慣れてゆく。
自分は立ち直ることができると知るために、苦しい恋は若いうちにしておくものだ。
若い心は傷つきやすいが、傷が癒えるのも早いのだから。
「自分は立ち直れる」と知る前に身を投げてしまったら、死んでから泣いてもどうにもならない。
事故物件に住むことを仕事にしている、松原タニシという芸人さんが居る。
彼が事故物件に住んだ体験を綴った本を読むと、この世に未練を残して場所や人に取り憑く霊ってけっこう居るものなんだな、と妙に感心してしまう。
ある部屋には入るなり気絶してしまったり、また別の部屋では頭痛に悩まされたり、交通事故に遭ったり。
説明のつかない不気味な現象に悩まされながらも、彼が平然と事故物件に住み続けるのは、向き合い方が分かってきたからだという。
「死者を忌み嫌わず、過剰に悼(いた)まず」
体を張って様々な事故物件に住み続けている人の言葉だから、なるほどと納得させられる。
あれからざっと30年以上が過ぎたが、あのとき泣いていた彼女はとっくに笑顔で成仏しただろうと、私は勝手に考えている。
一時期はタブー扱いされ封印されていた岡田有希子の歌も映像も、今では動画投稿サイトや音楽のストリーミング配信サービスで、いつでも見ることや聴くことができる。
「永遠の18歳」「伝説のアイドル」として今でもファンに愛され続ける彼女。
手厚く供養され、自分の歌が今も愛されていることに慰められて、絶望していた心もきっと癒されたに違いないと、そう信じている。
【著者】マダムユキ
ネットウォッチャー。
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。